ゴールドづくし
2016.11.28 Monday
FDA金色の飛行機は9号という名称。東日本復興記念の飛行機と。
先日の出雲行きで初めて乗ったフジドリームエアライン。
七色の機体。行きはグリーン。帰りはゴールドだった。
たまたまSNSにその写真をアップしたら、地元の友人は行きがブルー、帰りがイエローだったとの
コメントがあり、ふと、まるでオーラソーマのボトルのようだなぁ〜と感じて
その日からオーラソーマ31番ボトルを、使用しようと在庫を見ると、
大瓶も小さい瓶もどちらもバランスボトル時代のもの、23年物が出てきた。
そしてしっかり蓋をしてしまってあったものなのですが、
小さい瓶の方は蓋が半分、開いていた。
オーラソーマ31番ボトルは、「泉・ファウンテン」という名前。
まさに泉、湧く、私を待って流れ出しているように感じた。
グリーン&ゴールドの31番・泉
この時代のボトルの中の液体は、ロータスオイルが使用されていた時代。
二十数年前のハーブウォーター&ハーブオイルは、現在のボトルより濃度が高くずっしりと
身体に、ライトボディーにも浸透してい感がある。
自分の内なる真理と繋がる
このボトルを使用するようになって色んなものを
自身の時間軸を遡ったり、自分の事実真相な潜在意識という泉を覗き込むような出来事が続いた。
ゴールド、智恵、歓びでもあり。
ゴールドづくしだった出雲旅行。
出雲へ行ってから
色んな心の景色が変わっていく実感があります。
やはり
神様が全世界から集まっての総会議の場所へ伺わせていただくことは
相当なご利益を受け取らさせていただくことなのだと実感しております。
ゴールドづくしだった出雲旅行。
智慧を授かりに行ったのでしょうか?
今日は旧暦10月29日。
明日から旧暦では11月。
神無月から
神在月になります。
神様が地元へ戻ってこられる日。
神様は
出雲会議で、来年の一人一人、人間のプランをクリエイトされると聞きました。
明日は、新月でもあります。
刷新。新たな年に向けて身も心も刷新。
神棚をお掃除して
神様をお迎えいたしましょう。
出雲空港を出る時
飛行機のタラップからは
美しいゴールドの夕陽。
自身の歓びのためにと〜。
*出雲から戻った後、ストールのお見立てに来られたお客様に、ひょんなことからオーラソーマ
カウンセリングをすることとなりました。
自身のためにとプライベートルームにあるオーラソーマ。
umu-wakaを始めてからは、曖昧になるからとオーラソーマは隠蔽していたのですが
自身の縛り感を外して、自由に楽しくと、いろいろな物をリリースしようと感じたのでした。
そうそう31番、3の変化、1の始まり。3➕1=4の基盤
ふむふむふむ。
豊かだなぁ
2016.11.23 Wednesday
犬山城の麓の紅葉も日に日に色濃くなります
11月も終盤。
今月は移動も多く、景色も場面も心も早く過ぎた。
そして、人生の経の旅でもあったような、自身が歩いてきた「経」を映画を見るように
観じて見るような時だった。
時が、自分が3D以上に
パラレルワールドのような。
本当に映画のようだった。
倍速のような時の流れの速さの中に
時の価値観、未来の時の感触が変わることを感じる。
自身を焼き尽くすが如く、突き進んできた半生。
探求、探求、フルスロットル。
そのfull throttleには、意味があったんだなぁと。
そして抗えない運命の道しるべ。
ほっと前世を振り返るような11月だった。
今日は、full throttleで、探求に走る足を止めて休息の日にした。
アトリエの部屋の中から外を見ると
圧巻の景色。
奇跡のような景色に感謝で立ち止まる。
アトリエの隣のお宅から
実家で頂いたからと、朝採れの大根と枝付きの柚子のお裾分けを頂いた。
豊かだぁ。
昨年まで住んでいた名古屋の東区の閑静な住宅街での
心温まるお付き合いも懐かしいが、なんだろう?自然が介入するこの土地での豊かさは
また広がりが違うような気がする。
「私は病院でのお薬を、一つも飲んでいないのよ!」と友人たちに自慢をする母。
いろんな病院でたくさんの薬を処方されて、全部飲んでいた母が、多量投与で
薬害で腎臓を痛め生死をさまよった5年前。
この数年、薬断地、医者依存を卒業させるために、必死だったこの5年。
「私は病院でのお薬を、一つも飲んでいないのよ!」
今日は、母が友人たちにこう言って自慢をするその言葉を聞き
安堵の中にいる。
職臭。。。
2016.11.21 Monday
今年は久しぶりにクリスマスディスプレイの仕事を一つの会社の2物件だけしました。
私の前職は、デコレーター。
20数年前のお仕事・カーテンも壁紙も顔料で描きました。洋服は、ただの布。リボンなどを
ピンワークで
デコレーターという仕事は、ショーウインドウの飾り付けの施工や、デザイン、オブジェ制作
フラワーアレンジなど。
衣食住、全ての飾り付けの仕事。デパート、ブティック、アパレルメーカー、食品、布団寝具
ジュエリー、娯楽施設などなどなど。
名古屋の名所ナナちゃん人形のお洋服も作りました
デコレーターの仕事を辞めてしまった理由は
新しい仕事をするための、自身の中のけじめでもあったのですが、
またその前、umu-wakaを始める2年ほど前から、何かこのままの状態で仕事を続けるのは
違う感じがしたので、契約更新をしなかったり、仕事を10%までに減らしていた。
そこで、umu-wakaを始めた時に
あるデパートでお買い物をしようと思い、レジに商品を持って行ったら、
「貸出ですか?」と言って店員さんが貸出伝票を出してきた。
売り場のディスプレイ、ショーウインドウのディスプレイで使う商品の貸出と店員さんが
勘違いをしたのだ。
そのデパートは、デコレーターの仕事で入った経験もないデパートだった。
自身に「デコレーター」という職種の匂いが、染みついていたからでしょう。
だから
職臭を消すためにデコレーターの仕事を辞める
と決めたのでした。
今年、クリスマスディスプレイをしようと思ったのは、
「umu-wakaの若山さん」
染めのwakaさんとなったから。
ご縁で、繋がっていた1つの会社の2物件だけ今回はクリスマスディスプレイをしました。
とは言っても
umu-wakaのExhibitionの飾り付けは、
何もない箱に、テグスを使ったり脚立に乗ったり、担いだりと
自身のブランド専属のデコレーターはしていたので
ingだったのかもしれませんが、
今回、クリスマスのオーナメントもオリジナルで作ったりしながら
百戦錬磨だったデコレーター時代を振り返りました。
1月に20以上のウインドウデザインを継続何年も。
徹夜現場続きでショーウインドウの中で立ったまま眠ったこと
体力気力全力の二十数年。
クリスマスのディスプレイ
この写真は24歳の頃の私。
マネキンメーカーのイベントで、ハリウッド俳優を模したマネキンに
その女優特有のドレスを着せたいということで
様々な種類の布をピンワーク(シルクピンだけでドレスを作る手法)でドレスをその場で作り
増加やリボンを配した。
まだデコレーター歴、5年の頃。ピンワークの技術も低かった時代ですが、
その後も、布地メーカーの展示会や、高さ10メートルの天井に布をディスプレイするとか
布地の仕事が多かった。
ワンビエ
ダブルビエ
ピンワークの基本。
20代の初めについたデコレーターの師匠は、半年で仕事を辞めてしまったので
このピンワークの技法も、書籍を読みながら、独学で学んだものです。
ワンビエ
ダブルビエ
これがumu-waka独特のストールのアレンジの基礎となりました。
ストールだけで
ドレスアップ、カジュアル、
パーマン巻き、ブータン巻き、大和巻きetc。
もっと素敵な写真がいっぱいあったのに、今とは違ってカメラフイルム時代。
何度かの引越しを重ねた時に、どこかにしまい込んだのか
捨ててしまったのか。
久しぶりのクリスマスディスプレイをしながら
百戦錬磨だったデコレーター時代を思い出しながら、オリジナルばかりを求めていた自分や
頑張りすぎることが普通だった自分、
自分の色んなソースを覗いた時間だった。
初出雲・神在祭へと
2016.11.17 Thursday
初めての出雲大社・神在祭へ。
高松の友人たちと今回初めて出雲大社へと参拝に行くことができました。
高松の友人たちは現地、出雲縁結び空港で待ち合わせです。
高松組は車。
私は一人、飛行機で出発です。
出雲空港へは、中部国際空港からではなく、古い県営名古屋空港から出発です。
中部国際空港ができる前は、この小牧にある小さな空港から飛行機に乗っていました。
距離的にはずっと、近い場所にあるのですが
いつも読めない渋滞であったのは、昔からですが
今回も工事大渋滞で焦りながら空港に着くと、出雲行きは1時間半遅れ。
お食事券を頂いても食堂1軒、カフェ1軒だけでして.....@県営名古屋空港(旧小牧空港)
ふむふむ
焦らなくて、つじつまが合うようになっているという
教えかしらと〜。
またまた
行く先々で、前を走る車は「88-88」後ろは「8-88」などと8並びナンバーに囲まれて走る。
もう、すでに始まっているラッキーロード。
縁結び空港到着でお久しぶり様〜❤
合流するだけでテンションが上がる〜❤
大好きがいっぱいって嬉しいものです。
まずは木綿街道へ〜。
北前船で栄えた木綿街道。当時の繁栄をいたるところに見ながら、
賑わう昔の音が聞こえそうでした。
木綿街道にはお醤油醸造所が多く、テイスティングができるこちらへ岡茂一郎商店へと。
昔、昔から生き続ける酵母の声も聞こえそうな気配。
酵母は体温上昇ですね。
美味しさに大興奮、特別お誂え醤油、残りわずかをを4人で買い占めました。
今宵は早めに温泉宿に向かい
ほっこりしましょうと。
昭和な修学旅行気分で
たわいもない話に笑い、
美味しい美味しいと食べる。
ああ〜お腹がいっぱいダァ。
また、普通にたわいもない話。
別腹別腹と、一緒に行くことができなくなった友人からの差し入れのお菓子を食べ続ける。
カロリーを消化するために温泉温泉〜。
このたわいなさが嬉しい。
みんな、仕事が忙しくて〜とか、
子供が孫が〜!!!とか、みんなの日常は忙しくて
ホームベース滑り込みセーフ的な状況を経て集まった出雲。
こうしてこられることの嬉しさ。
次の日は、
出雲大社神在祭へ。
全国、いや全世界から神様が集合して会議。
八百万の神様が集まる出雲大社は、
静かで、温かく穏やかで睦しく感じました。
まずはこちらでお清めをします。
温かなニュアンスを感じながら本殿へと向かう。
本当の正面は左側よと。
正面を目指して〜。
本殿をお参りする前に
龍蛇神を参拝。
全国の神様をお運びするのが龍蛇神様と。
お神酒をいただく時の盃はお持ち帰りいたします。
参拝をして
お札を納め
お神酒とお供えのお米をいただく。
お神酒の美味しさに、おかわりをくださいと行ってしまいたいほど。
美味しいお神酒でした。
こちらは
神様のお宿。
神様のお宿を拝見させていただけるなんて、ちょっと嬉しい。
本日までこちらのお宿に滞在されて、神様会議。
そして神様は、明日からは、
出雲のいろいろな神社へと行かれ、
お祝いの宴をされると。
そしてこちらが本当の正面。
こちらで参拝。
出雲大社だけ
二礼四拍手一礼。
参拝者の四拍の音とリズムが
とてもここと良く感じました。
この時にしかいただけない
お札やお守りをいただき
御朱印をいただき
ご祈祷。
ご祈祷記念の
神在餅が嬉しい。
清々しい空は
神様をお迎えにこられた乗り物が
忙しく行き来しているようでした。
帰りしな
大国主命の像に
ときめく。
iphoneの待ち受けは大国主命様にと。
参拝の後は
出雲名物のぜんざいをいただき
一泊二日の短い旅は終了。
出雲空港まで送ってもらい
「また来年も来ようね〜」と。
別れしなが名残惜しく、そして照れくさく
大好きな良き友と、
こうして旅ができることの幸せを噛み締めて
金色の飛行機に乗って帰りました。
ゴールド。
智慧。
一人
小牧空港に戻り
車に乗ってから
お友達に無事に地元に着きましたとのメールを入れるために
写真を撮ったのですが
自分でも感じる
この寂しい表情。
別れると
寂しくなるほどの
お友達がいるという幸せ。
毎年
ずっと行くことができますように。
経を振り返る。22-22から11-11へ。
2016.11.12 Saturday
2016年11月11日。
京都タロット・宇のメサージュ 朋百香原画展へと出かけました。
http://star-poets.com/events-news/01-exhibition/4404
日本の神様、日本のお話でタロットをと岩倉ミケさんと朋百香さんの出会いから
始まり十余年の歳月をかけて78枚の原画が完成した。
朋百香さんとの出会いは、2010年、umu-wakaがスタートしたばかりの頃、
大島紬、大島紬誕生地の奄美大島に人間に恋する以上に恋している頃。
お着物好きの朋子さんと、奄美、大島紬のお話で盛り上がった。
朋百香さんは原画も捨四番を製作中だった。
いろんなことがシンクロし始めた。車輪が回るように。
この捨四番の「たま」の髪型が奄美大島の女性のような髪型になったのよと。
朋早香さんは、
それぞれのカード、そこへ降りてくるインスピレーションと共に
そのテーマが日常生活の中でシンクロして事象として現れる。
自身に、周りの人をもシンクロして事象として見せられる。
タロットという特別なパワーのもの、そして神様と関わることの大きさは
覚悟をしていても大変なもの。
一枚の絵に、身も心も魂もシャッフルされるが如く、一つの絵の、一枚のカードを
身ぐるみ体験する。それを78枚分を生きながらに描いて完成された。
カードの意味は、愛猫のたま子を迎える時に、心に誓ったこと、ある人生のあることを越えようと願ったこと
そのままだった。
私も2枚のカードの原画が生まれる頃、
私自身も大きくシンクロしていたことを、また、数年経って理解した。
そして、朋百香さんが1枚1枚のテーマを生きながら消化して絵を完成させてていた
この数年間、私も、Exhibitionのテーマがそのまま自身の生活の中で超える事象、
そして、一色が生まれる度に、その色のパワフルな部分、そして掘り起こしのような
人生ハードだな〜と思われるようなことを一色ごと、Exhibitionテーマごとに超えてきた。
ヘビーな日々だった。
そう思うと、朋百香さんは78枚とともに越えられてきたのだと思うと
お疲れ様でした。鎮魂。朋百香さんの経に鎮魂の思いになる。
2010年4月、このExhibitionの時に朋百香さんにお世話になった。
本当にお世話になった。
あれからの久しぶりの再会で、一気にこの時代の時点に戻り、自身をumu-wakaを振り返るようであった。
まるで前世を振り返るようだった。
umu-wakaを本格的に始動させて2年目の頃。
向かい風だって、追い風に変えて走ってきた。
そして、このExhibitionを終えた直後に迎えた初の敗北感。
頑張れば頑張るほど周りの人を苦しめる。気遣えば気遣うほど人を傷つける。
この時のことが、この書籍の中で7ページにわたり
umu-wakaブランド物語」として記載された。
共感企業 著・阪本-啓一 日本経済新聞出版社
底を打った時の大泣きの日。
初めて自分に負けたと思った日の次の日は、偶然にも阪本氏のOFFICEに訪れる予定の日だった。
「どんな状態でも、底を打っても辞められないでしょ。waka !」
辞められるのなら、そっちの方が楽よ。お客様の喜ぶ顔を思い出すと辞められないとも思った。
そして横浜のOFFICEから名古屋へ戻る時に、奄美の大島紬の織元さんに電話をすると
「簡単にできたら誰だってやるがよぉ〜。」と。
そして生多良に電話をすると
「wakaさんが負け切る日を待ってたがよ。」
「生多良は、wakaさんだけを死なせやせんがぁ。
生多良はwakaさんを育ててから死ぬがヨォ〜。」
何時間も大泣きした。
この日から私は、弱音を吐けるようになった。生まれて初めて。
そう、誰かに頼ることを初めて知った記念日だった。
そして
その数日後、阪本氏と会長のYukariさんと一緒にワインレストランへ出かけた。
お店のテーブルナプキンに書いたリンクマップ。
一人じゃないことを、つくづく見せられた。
あの時から始まった激しい道のりが圧縮されて自身の感触の中に蘇ったのだろうな。
個展会場で。
盛り上がりのトークショーの司会をする仁美ちゃん
この個展のプロデュースは仁美ちゃん。
umu-wakaの初個展は仁美ちゃんのギャラリーでしたからね。
そして京都のこのギャラリーで、同じ歳で人生大変デパートな札幌の友人とも再会。
睦い友人たちと、11月11日という特別な時を。
デモンストレーションのカードレィーディングのワードも
しみじみと皆の心に染み入る。
京都タロットカード拾壱番・トリイの前にて〜
そういえば、あの頃、朋百香さんと話していたのは、
気づくと、「22−22」2並びの数字の場面にばかり出会うのよ。
時計の時間、ふと見た車のナンバーなどなど、
そんな会話をよくしていた。
ここ数年前から、222並びの数字に出会うことが少なくなったなと感じる。
この鳥居の向こうが見たい。
11月11日は、なんだか卒業式のように感じた。
この先は、
これからは
自由に好きなように生きる。
朋百香さんがスタッカートを効かせるように言う。
そうだそうだ!!!
卒業式会場を後にして
当初の予定、鞍馬温泉に入ってから帰る。
そのために今回は、急遽、新幹線をやめ車で出かけました私。
ナビが不思議な案内をしながら
尋ねるべきな場所を回りながらの鞍馬温泉。
個展会場で、とってもキーワードになっていた弐拾壱番・鞍馬
21番は蘇り、再誕生の数字。
お肌の生まれ変わりサイクルも21日ですしね。
そしてこの京都タロットがカードになって販売されることを祈願。
鞍馬温泉の
露天風呂にゆっくりと浸かりながら
山の木々の陰から鞍馬天狗さんの気配を感じながら
特別な時をお迎えしました。