眩しい光の先に自由を観る。自由のための巣作り。
2016.08.31 Wednesday
左:瑆色(さいいろ)群のグレーは自由を。
右:枯淡桜茶色(こたんおうちゃいろ)群は、受け容れ見送り愛をつなぐ。
台風一過。
空は、さらに高くなり、つい先日までの蒸せ返るような暑さの日々なんて、すっかり忘れたかのよう。
透明感のある空気を吸い込むと、先の自由を知らせを感じる。
暑い夏の休養が終わり、その眠っていた時が、もうずいぶん前のことのように感じながら
アトリエを大きくレイアウト変更し始めた。
今回は、私の自分のためのレイアウト変更。
心地よい暮らしがあって、はじめて美しい色を生み出すことができる。
生き方、暮らし方、人生と関連する風水間取り。
節目を感じ、フィットしない今の間取りを変えないと仕事にも集中ができないし
心地よく暮らせない。自身の心がフィットする間取りを、なぞっていくと
自身の未来も見えるのであろう。
実家も水道の漏水があり、水道管工事が家の中までに及ぶので、同時に断捨離さん。
昨年、二十数年ぶりに実家への引越し&アトリエも盛大に引越ししたものの、リノベーションを控えての
引越しだったので、どちらも「仮住まい仕様」。荷物をとりあえず入れて、仕事やケアの合間をぬっての
パズルな住まいとアトリエ。家族の具合が悪くなりリノベーションも延期になったのですが、
今年来年が私の大殺界なので、家を建てるとかリノベとかできない運気なので、開き直ってゆっくりと
未来の人生を描こうと。そのためのお掃除とお勉強探求期間にしようと。
しかしながら
今月初めの決断と、体調を崩していなかったら、このスタートへの準備が始められなかったんだなぁと
思うと不思議なもんだなあと思う。
全ては流れのまま。
今の季節の移ろいを見送り、受け容れ、受け容れる。
秋の眩しい空の先に、遠くの自由を観る。
道すがら〜。
2016.08.28 Sunday
北海道からトウモロコシがたくさん届きました。
シャイニングコーンホワイト、ピュアホワイト、恵味コーン、ゆめのコーン、ゴールドラッシュ。
なんとも縁起の良いネーミングのトウモロコシ。
三度目の正直、やっと体調が、今度は、絶対に昇り調子になるぞと感じた朝に届いたトウモロコシは
天からの快気祝いのような。
ハードな人生の最終章は畳み掛けるように、ヘビーなカードが全て開いたこの数年。
凄まじい。驚くようなあの日々は、何かもう既に、液体の中に終われた(しまわれた)
ような、不思議な緑の液体の中にあの暑い日が終われたなと。
2016年8月のこのサナトリウムのような日々に、全てガラスのジャーポットに
その緑の液体を注ぎゴールドの蓋をしたような。
そんな切り替わり感がある。
今日の木曽川は、不思議な色合い。
昨年、こちらへ引っ越してきて初めて見る現象。
川面に油が浮いているのではなく、光の現象で川面に銀色の道ができていた。
今日はベランダの片付けや、整理整頓。
昨年、こちらへ越してきてからは、何か違うことのために頑張ってきた。
いろんな計画も二転三転した。
今日はベランダの片付けや、整理整頓。
そして旅支度。
何だか、初めて、自分のためにお掃除や片付けをしている感じがした。
自分のための人生が始まりだしたように感じた。
ほっとくつろぎながら、今宵も自宅で夕食の準備。
何だか格別に美味しいカレーライスとゴーヤーチャンプルができましたよ。
無重力の中にあった夏
2016.08.23 Tuesday
オリンピックも終わり、空も高く秋空。
遠くに入道雲と
遠くに鳴き盛る蝉の声。
暑い昼間の太陽は、まるで夏の名残を燃え尽くすがごとく。
8月に入ってすぐ、体調を崩し帯状疱疹。
帯状疱疹が治り、少し良くなったからと動き出したらまた熱が上がってしまった。
ついでに、胃を悪くしたり、喉が腫れたりと。
何気に新しい人生の季節を前に、今までの時の中に溜まっていた
疲れをを燃え尽くすような。
ああ〜
今年の夏は、夢の中にあったようだなぁと、秋を覆い始めた空を眺めながら
そう思う。
8月の夏は
家にいたら動いてしまうしまうので、アトリエで療養。
木曽川花火大会も今年はアトリエで一人。
ずっと床につきながら、オリンピック中継を見る。
ドラマティックな場面が多いオリンピック。
始まりと終わり。変容。バトン。そんなことをも感じる。
そんな場面が走馬灯のように流れる。
そしてスマップ解散と。。。
微熱続きだったの、うつらうつらの意識の中にあった夏の景色が
今は、無重力の中にあったように感じる。
その無重力の中で
自身の時間を遡りながら、テレビの画面とともに見ていた。
これはumu-wakaを始めるにあたっての、私の矜持の品。
2008年7月15日。
山口伊太郎氏の遺作展の時に購入した、伊太郎氏が使っていた物差しのレプリカ。
この頃は、月に2回、京都まで染めを習いに行っていた頃。
umu-wakaが、まだ種だった頃。
生多良と一緒に、色を始めた頃だった。
この日は
教室が終わった後、指先に何色か染め色を残したまま
山口伊太郎展へ走った。
山口伊太郎氏は、もともと京都、西陣の織元。
70歳で一線を退き、70歳を機に、西陣織で源氏物語絵巻を作り始めた。
そして最後の糸の色を作った後、105歳で亡くなった山口伊太郎氏。
絵巻はそれはそれは圧巻で、何色も染め上げた糸の山々。
美しく繊細な色の重ねの後、
後半、視力が衰えた後の鮮やかな色合いで織られた絵巻の激しい色使い。
その鮮やかな色合いは、激しく命の息吹を感じた。
その言葉にない、その鮮やかな色合いに涙が溢れた。
この先、ずっと先のumu-waka、
生多良の視力が衰えたり、体に変化があった時、
師匠の生多良の季節の色は、どんな色を語るのだろうか?
そんな時をも、私は携えられますようにと
自身の志として、このレプリカのモノサシを買った。
ずっと自身の精神の中にある「このモノサシ」に執着していないだろうか?
自身だけではなく、
誰かをも不自由にさせているのではなかろうか?
そんな風に考えをめぐらせたりした。
そういえば、今春、桜が始まる前に書いたブログの中でも、山口伊太郎氏のことを綴っていた。
http://umu-waka.jugem.jp/?eid=1520
若い枝たちに命を託した古枝の命の美しさを染めた枯淡桜茶色(こたんおううちゃ)
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、
http://umu-waka.jugem.jp/?eid=1520
いろんな時を思い出しながら
無重力の中、ボイジャーが宇宙を好きなように漂うように
銀河に委ねようと感じ始めている。
帯状疱疹と共に〜
2016.08.17 Wednesday
8月4日の大きな選択を一つしてから、不整脈、微熱の後、帯状疱疹となりこの2週間、休息しておりました。
帯状疱疹は、ストレスと疲労が重なった時に発症するものと。
心と体というものは、こんなに顕著にあるものと。つくづく感じました。
大きな選択の前に今年は年初から抱えていることと、ずっと向き合ってきたことがありました。
今回の大きな選択の前に、すでに大きなストレスがあったというベース。
大きな石ころを外したら、もっとその奥に長く抱えていた負荷が、どっと流れ出した。
全て、神様のおぼし召し。すでにシナリオが出来上がっていたかのように思います。
体調が徐々に回復するとともに、その時間軸が遡るかのように、その案件を理解し、感謝。
真に、新しく始める自身の扉を開ける決意へと誘われました。
大きな決断〜2016.8.4
今年の4月頃、秋にumu-wakaのイベントの開催依頼のお話がありました。
話題のスペースの50メートルある壁面をumu-wakaで表現。
日本、umu-wakaの表現を、umu-wakaだけでなく、私の知人友人の日本を表現するアーティストと
共にと、新しい展開が始まったと喜んで引き受けました。
その後、担当部署が変わり、新しい担当者との打ち合わせに行くと、開催期間を1か月。いやそれ以上に
なる可能性があると。そしてストールの巻き方miniファッションショーなども楽しそうねと、
そんな打ち合わせの後、マネキンさんのスケジュールを1か月抑え、他にもお手伝いをお願いする方
表現をするアーティストの方々への打診と。
1か月の長期間。エネルギーの使い方、自身のスケジュールの青写真などを整えながら
先方からの連絡を待っておりましたが、開催日まで1か月を切っても連絡がないので、
不安に思い連絡をすると、初めてお願いするような口調で「8月24日から2週間、お願いします。」と。
あっけにとられ、言葉が出ず、他の詳細も決まっていることがありましたら、詳細を送ってくださいと
だけしか言えず、電話を切りました。
即、お願いをしていた方々へのお詫びの連絡。マネキンさんは、繁盛期です。1か月も抑えて申し訳なさ
過ぎです。あちこち誤っているうちに心が折れ始めます。
そうこうしていると、開催内容のデータが送られてきました。
その内容が、umu-waka自体のインフォは、具体的な間違いが多く、内容も理解不能な曖昧なもので
目を通すと意気消沈。やる気モードマックスゼロ。になるようで、ファイル全部に、目を通すまでに
2日間、かかるほど。ファイルは送られてきただけで、補足の連絡さえなく、もやもやは続きます。
ちょうど、umu-wakaを古くから手伝ってもらっているKさんと、umu-wakaの制服の試着を兼ねての
打ち合わせ日があったので、彼女に背景を説明すると、「wakaさん、断ったら?」
心がYESと言わない仕事で2週間とは、心にも体にも悪い。
「1週間に短縮させていただくか、ご辞退をお願いします。」と、それまでの経緯を前担当者も含めて
メールをしました。そこまでのメールを書くまでに心を尽くし大きなことでした。
速攻で、前担当者、今回の担当者の上司から連絡が入りました。
丁寧なお詫びと心ある会話。そしてその後、好条件を頂くことになるのですが、どうも心が着いていかない。
「私は、要領が悪いので即答ができません。しばらく待っていただけませんか?
しかし、開催期日も迫っているので、開催方向で心を持ってまいりますのでお待ちください。」
そう伝えると、心が決まるまで、こちらからは連絡を入れませんので、ご連絡をお待ちしますと。
その後も、丁寧なメール。心ある、行間にも人となりが感じられるメールが、上司の方からも
前担当者の方からも頂き、心は揺れました。
盆休みを挟んでの短期間での新しい企画。
ゴリをしで、形作ることはできると思った。でも、自身が描こうとしているきめ細やかな内容には
ならない。魅力的な好条件。その場で描かれたumu-wakaを見てみたい。担当の方は優しい。
悩みに悩んで、古くからumu-wakaを手伝ってくれているKさんにも相談したり、生多良の息子さんにも
相談したり。。。。。
檸檬王子色(れもんおうじいろ)
どちらが良いか悪いかではなく、自身が美しいと思われる潔い選択
潔い選択の前には、潔くないドロドロとした悩みの時。
誰か、私の代わりに選択して欲しい。そんな時に背中を押してくれる檸檬王子が現れますようにと
願って染めた色が「檸檬王子色」ですが、檸檬王子が現れたかどうかはわかりませんが、
相当のカロリーを使って、決断し、長いメールを書きました。
ビジネスライクではないですよね。
そして、その後、担当の上司の方にも電話を入れ気持ちを組んでいただきました。
前担当者の方からも懸命な選択ですと。
前担当者の方は、元々、umu-wakaファンの方。またExhibitionにも伺いますし、また改めて
umu-wakaのイベントをお願いしたいと。
ほっとしたところで、
相当の疲労が私を襲い、またまた不整脈が始まってしまったなぁ。休息をしなくてはと思っていると
左太ももに、クラゲが何匹か食いついたような痛みが続きました。
インターネットで症状を調べると、帯状疱疹です。発疹も少しばかり始まっています。
過度のストレスと過度の疲労が原因と。
治療法を見ると、「抗鬱剤」「抗生物質」などなど。帯状疱疹の治療薬の副作用は、肝臓にも副作用が出ると
記されておりまし足し、「抗鬱剤」とは。。。。。
薬害で母も大病をしましたし、金曜の夜でもありますので、土日の間、「免疫の上がるサプリ類」と
リラックス系のエリックエッセンスなどを10倍以上服用し、ひたすら眠りました。
一つ手放した後、即座に「シンガポール招待旅行」が舞い込みました。
一つ手放すと、新しいものが入ってくるんだなぁと。
休息を取りながら、眠り続けながら、一つずつ、一つずつ、紐解かれるように
心と体に抱かえ続けていたものが、大きく鮮やかに目の前に。
そのために、肉体も心も使っていた、ここ半年間の重さを知る。
今回の大きな決断は、その奥にある、もっと大きな重いもののを導き出す突破口。
まるで、それは最初から決まっていた道筋のように感じる。
もっと大きな決断〜
2012年5月に生多良が、くも膜下出血で倒れ、3度の手術で復活。
日常生活を送るには問題がないほどに生多良は回復し、その後はリハビリを
兼ねながら一緒に染めてきた。
2015年の春のExhibition「気配」の中では、
マゼンタばかり、たくさん染めた。1週間、ずっと幾色かのマゼンタをたくさん染めた。
生多良の言葉の表現が戻ってきた。
そして、私はこの先、本能の在り処が変わっていくと、そのマゼンタなの中に言葉を観た。
体力がなくなっても、ある色が認識できなくなっても、それもひとつの季節の色語りであると
ずっと、一緒に染めてきた。
源氏物語錦織を70歳から製作し始めた山口伊太郎氏の遺作展を
2008年に見た時、視力が衰えた後からの色使いの息吹に生命力を感じ涙した時に、私は、
この先、生多良が同じように視力が衰えたり体力が衰えた時でも、その中から美しいものを
見出し、umu-wakaの色が美しく変容し生き続けると誓っていた。
しかし、
今年の初めの染めから、ありえないことが続いた。
77枚のストールがムラやシミ、スレ、穴開きとなりダメになった。
何度も何度も、ルーチンワークやシステムを進めたり
この半年、染め直し、色留めのし直しの熱処理、再度仕上げ。
一緒に染めながらのサポート、遠隔での細かいシステム。
ストール届くたびに、「もうできないよ。」という師匠からの手紙のように感じた。
たくさんの残骸。
ありえないことが起き続ける。
それでも、それでもと頑張った。
それでも、それでも、届くことは変わりなく。
師匠であり、父親のような存在。
今年の春の東京のExhibition前は、本当に辛い状況が続き、スーパーマーケットで「牛肉全品2割引」の
札を見ながら、感情もなく、涙がボロボロと溢れた時は、自分がおかしいって思った。
高松、札幌のExhibitionが続く。
持っていくストールを全て、オブリージュで洗い、再度、仕上げをした。
「これもダメ。あれもダメ。」
追加の染めは、悲しみに追い打ちをかける。
洗いをかけながら、前に進めない辛さから、
新しく色を染めようと、瞳の中のパレットの上で染料を調合し染める。
深く、強い良い色が生まれた。良い色が生まれると悲しくなる。
今年前半、何度も何度も電話でも話をして、会議をしてルーチンをした。
これ以上、ダメになっているストールのことを
知らせることが躊躇われた。
これ以上、ダメになった結果を伝えるのは、落ち込ませるのではないか?
ずっとこの半年間、ずっと毎日、ストールの直し。毎日毎日。
先に進めない。使い物にならないストールの数は増えていく。
そのストレスも、ずっと溜め込んでいたんだろうね。私。
織元さんから送られてきた布地の織り段で返品するものも含めて100枚になった時、
この状況を手紙にして送った。
この手紙を送ることも、すごく勇気がいった。
生多良の生きる希望をなくすのではなかろうかと。
7月の末にその手紙を送った。
その直後、今回のイベントの辞退事件があった。
帯状疱疹で休養を取りながら、
一つずつ、一つずつ、消化した。
回復していく流れの中で
理解と覚悟が見えてきた。