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2020.03.10 Tuesday

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    自由に自由に

    2016.07.30 Saturday

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      私という自然の生き物。

       

      自然の一部の私。

       

      自身の季節の声を聞く。

       

      その季節の流れを聞く。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

      感情を遠くに見ながら

       

      心という、そのエネルギーが自由に描くよう

       

      自由に流れる様を見ながら

       

       

       

       

      無理をせず

       

      無理に頑張ろうとか

       

      奮い立たせようとか

       

      良い子でいようとか

       

       

      どこかの他人様が企てた計画に

       

      無理に合わせようと

       

      奮い立たせず

       

       

       

      ゼロのときはゼロで良い。

       

       

       

      ゼロのときは

       

      また新しい

       

      まっさらなノートが手元にやってくる知らせ。

       

       

      楽しみに

       

      新しいノートを待とう。

       

       

      外は

       

      夏休み。

       

       

      暑いんだから

       

      テゲテゲ〜に

       

      かき氷でも食べて

       

      バカンスの許可が出てるってこと。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

      クーラーが苦手なら

       

      扇風機。

       

      蒸し暑いのなら

       

      いっそ、南の果ての島へ行って

       

      からりとバカンス。

       

       

       

       

       

       

      バカンスのチケットが

       

      神様から

       

      贈られてきたのよ。

       

       

      自由に自由に。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

      やる気モード・マックス・ゼロ

       

      ってなご褒美は、夏からのご褒美でもありですと。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

      88-88の未来へ。

      2016.07.30 Saturday

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        久しぶりにストール布地の織元さんへと片道320kmの道のりを車を走らせました。

         

        当初は、往復640kmは体力的にもきついので、途中の諏訪のあたりで温泉宿に泊って一泊二日で

         

        出かけようとしておりましたが、母が夏バテ気味で日帰りで出かけることにしました。

         

        ここ2年、織元さんの所まで伺えなかったのは、母の健康を気遣っての理由でした。

         

        今回も出かける前日に具合が悪いと言う母。いつものようにケアをしながら、出かける事をやめようかと

         

        思ったのですが、これはいつものドラマかもと?母の目を見るとしっかりしていたので行くことに決めました。

         

        とは、言っても車を走らせながら心配であったりと、いやいや母を信頼しよう。いつもの私の恐れだ。

         

        長年の心配性をここらで決着せねば。なんて思いながら、高速が長野県に入ったとたん、地場のエンルギーが

         

        軽やかになった。通り雨が過ぎると共に、私の心も「信頼」という太陽が照り出した。

         

        ふと、追い越し車線を見ると「88−88」ナンバー。

         

        OK、ゴーサインね。

         

        その後は、「88−08」とか「88ー81」なんだか8並びのナンバーの車に挟まれながらのドライブです。

         

        そういえば、umu-wakaを手がけ始めた頃は「22−22」22ばかりが私の目の前に現れ続けていた。

         

        ここ最近、昨年からは「88」ばかりが、何かの句読点の時、何気に見ると「88」が続く。

         

        時代の変わり目なのか?

         

         

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        久しぶりに訪れた織元さん。

         

        今秋の染め用のストール布地は、まだまだ糸が仕込まれたばかりで、まだ織られる前。

         

        新たに素材をみつけることや、

         

        研究中の天蚕の美術品のようなストールを創るぞ!!やヘンプ(大麻)のありえなにような

         

        透け感のある布地作りの経過のお話。

         

         

         

        天蚕の糸。ここまで細い糸を作るまでに時間を要していますが、umu-wakaストールのあの薄さまでとハードルを上げると

        完成までには、まだまだ時間がかかりそうです。

         

         

         

         

         

         

        織元さんとのおつき合いも7年になる。

         

        umu-wakaを会社にした、その年からのおつき合い。

         

        日本伝統文化の大島紬を後世に。生多良の色を残したいと、大島紬の美しさと、その世界一緻密な織物と言われる

         

        大島紬の果てしない作業工程、歴史に胸を躍らせ、探究心と情熱で邁進していた頃。

         

        ちょうど、その頃は、世間流通の世界では「日本ブーム」の頃。

         

        日本の老舗のお店が、流通、消費、トレンド商品へ向けてブームが始まった頃だった。

         

         

         

         

         

         

         

         

        目利きの旦那がいる老舗や、上手い事業展開を成功させて、日本伝統文化を上手く発信をして企業化に

         

        成功した老舗も、今ではたくさんある。

         

         

         

        しかし、「日本伝統文化ブーム」というマーケに、大手が声をかけて、夢をかけて投資や物づくりをした

         

        地方の小さな工場や職人さんの中には、辛い思いや、歯車の一部になって苦戦していることも事実で

         

        そして、なんちゃって商品も世の中には多く誕生している。

         

         

         

         

        それでも、「日本伝統文化」で売り上げをとか、机上の空論のような仕掛けをする場面によく出くわす。

         

         

         

         

         

         

         

         

         

        2007年から始まったumu-waka。

         

        私は40代が始まったばかりの頃。

         

         

        もし、30代で大島紬と出会ってumu-wakaを始めていたら、向かう方向も変わったであろう。

         

        ビジネス、経営、商戦、そういうコトに燃えるサバイバーな若者もいるであろう。

         

        NHK朝ドラの「とと姉ちゃん」のような戦後のどさくさな時代であったらば、

         

        隙間産業のように、外側の環境から、パーツを拾い出し、ビジネスを考えたり、商品を作ったりと

         

        それはそれで、きっと楽しく生きるその息吹で満ちあふれるであろう。

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

        私が50代に突入したから価値観が変わったのか?

         

        世の流れが変わったからか?

         

         

         

         

        何だか、手垢(てあか)が着いたように感じる「日本伝統文化の商品です。」というキャッチコピー。

         

         

        最近、その違和感、心にフィットしない感に嘘がつけない私がいる。

         

         

         

         

         

         

         

         

        写真は、ひとつの大島紬のデザイン画と設計図と色出し表。中央は反物です。

         

        生多良とコンビを組んでグランプリを取り続けた大島紬のデザインを手がけていた職人さんが

         

        今年、亡くなった。

         

         

        憧れの月光を織ることができる織工のおばあさんが、高齢ということで職人をやめた。

         

        締め機職人のおじいさんも、糖尿で目が見えなくなって職人を辞めた。

         

         

        それは、憂いても始まらないことで、その業界の人達の生活だってある。

         

        色んな手法で新しいビジネススタイルを構築している人だっている。

         

         

        umu-wakaとして、少しでも発信できたら大島紬の業界に何かしら貢献できるかも?

         

        大島紬の美しさに魅了され走った私がいる。

         

         

         

         

        30年続けば、それはすべて文化になると生多良は言っていた。

         

        呼吸するように文化は変化し続ける。

         

         

         

         

         

         

         

         

         

        今回、

         

         

        久しぶりに織元さんと会って、打ち合わせをして

         

         

        やはり、嘘のない物づくりをしたいと思った。

         

         

         

        88−88

         

        帰りの道のりでも出くわす88−88。

         

        帰りに立ち寄った諏訪大社前でも88−88。

         

         

         

        交通事故に巻き込まれそうになっても「88−88」ナンバーにいつも助けられる。

         

        「22−22」から「88−88」へとなった昨今。

         

         

         

         

        何かが満ちて、新しい時代、価値観へと進む時なのであろう。

         

         

         

         

         

         

         

        静寂色・shijima-iro

        2016.07.26 Tuesday

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          今日はマヤの13の月の暦の新年。

           

          昨日は大晦日と。

           

          確かに

           

          新しい流れの中に思考が始まっている。

          雨の匂いに運ばれて〜。

          2016.07.26 Tuesday

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            朝、目覚めて窓を開けると雨の匂いがした。

             

            雨の匂い。湿度を鼻先で感じる匂いだけでなく様々な分子が息づいているように思う。

             

             

             

            草花や土、降り注いだ先の物の匂いを雨は運ぶのであろうか?

             

            その複合されたその雨の匂いは、その土地の精霊たちの優しさのようで、

             

            幼い頃は雨の日の通学路が好きだった。

             

             

             

            そういえば

             

            雨が運ぶ空の静かな陽光で照らされる部屋で過ごすことが好きだったなぁ。

             

            雨の日の部屋の中での、ひとり遊びは綺麗な私でいられた。

             

             

             

            今日も雨の1日。

             

            静かに自身の内側と対話ができる心地良い日。

             

            やっと秋に向かい始めた。

             

             

             

            来月の末からロングランのストールフェアが名古屋の伊勢丹ハウスで開催と

             

            期日も迫っているが、色をお迎えするタイミングを焦らずこの身を任そうと思う。

             

             

             

             

            今年は、顔の良い素材を吟味する時間を要したようで、数週間前、やっと糸ができあがったばかり。

             

            まだストール布地も織りあがっていない。

             

            今週末に織元さんのところへ行き、また新しい素材の吟味も兼ねて今秋の布地の顔を見に行きます。

             

             

             

             

            それから色を降ろす。

             

             

             

             

             

             

             

            やっと今日から秋が始まりました。

             

             

             

             

            雨が秋を運んでくれたから。

             

             

            灰紫苑色・haishion-iro

            2016.07.26 Tuesday

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              一つ大きな荷物を肩から降ろし、新しい自身の先の見通しが良くなった。

               

              新しいマップの自由さが見えてきた。

               

              灰紫苑色を選んだのは、その深いところでの変容を予感していたからだろうか?

               

              シロクロはっきりしない曖昧な時でもしっかりと立って入られますようにと

               

              染め始めたumu-wakaの灰色達。

               

               

              その中庸さは、日本の文化なのでしょうか。

               

               

              少し長い間、その曖昧な底辺で立って入られた私の心の体幹は

               

              たくましくなったのであろうか?

               

               

              灰紫苑色の中で熟成されたのだろうか?

               

              クリエイティビティの熟成。

               

               

               

               

              これでやっと、秋に向かうことができる。

               

               

              グレイッシュな冬珊瑚色を染めたくなった。