祈りは目に見えない次元との交流〜長崎の鐘〜辻幹雄・11弦ギターコンサート〜
2016.06.20 Monday
昨日は
長崎の鐘・辻幹雄 11弦ギターリサイタル。
出かける前、どんな色のストールも自身にフィットせず白泥染めの麻ストールしか似合わなかった私。
それは、このコンサートが魂の鎮魂式であったためと。
祈りは目に見えない次元との交流。
今まで何度か先生のコンサート、音を聞かせていただきましたが、今回は不思議な感覚。
魂の鎮魂の式でした。
曲の間に間に、朗読の間に間に、気づくと般若心経を唱えながら意識は上へと天へと送る。
時の感性が未来も過去も堺がないと。
過去を繋げるのではなく未来のものを繋げる。
龍神の舞という曲の時に言葉が聞こえる。
人の念は、それを見ただけで、その祈り、その思いはそれに乗ると。
朗読をされた敬子さんがこさえたハワイのレイは
この先、岡山、広島、長崎のコンサートへと祈りを乗せていく。
umu-waka Exhibition 粒子@札幌終了いたしました。
2016.06.19 Sunday
umu-waka Exhibition 粒子@札幌、終了いたしました。
みなさま、温かな時をありがとうございます。
永遠に変わらないことは、「変化し続けること」とよく言われますが、
今回は、特にそのことを感じました。
驚くほどの共時性の中に。
粒子、
粒子はそれぞれの粒子が生きいだすように、自身の中に内包されたその、かけがえのない光を生きる。
その、それぞれの粒子を見るようなExhibitionでした。
初めて北海道へと訪れたのは、ちょうど5年前の同じ頃。
札幌の老舗デパート、丸井今井さんでumu-wakaストール開催のために訪れました。
飛行機の窓から北海道の大地を見た時、「待ってたどう〜」って聞こえたような気がしました。
いつも札幌、北海道には温かく迎えられ、何かの節目となることが多くありました。
フェイスブックでは、過去の同じ日にあった出来事がタイムラインに紹介されます。
ブログをアップしようと思いながら、写真の整理をとフェイスブックを開けると
初めての札幌、ストールフェアが終わった次の日の投稿がアップされていました。
写真のバイオリニストの杉田知子さんとは、ストールフェア最終日の閉店間際に出会い、
次の日には、知子さんが定期的にコンサートをしている支笏湖のホテルの温泉へ行き、
その晩、温泉から戻り、ススキノの渋いスペイン料理店での記念ライブ、知子さんのバイオリンのライブに
合流し、ライブの後、二人で2軒のハシゴをして明け方まで話し込んでいました。
そうそう、
その支笏湖まで案内してくれたのがヤッチャン。今回もExhibitionのお手伝いをしてもらった。
ヤッチャンとの出会いもこの時。札幌で仕事をしている友人が、「WAKAYAMAが行くから遊んでやってくれ」
で、出会った。
今では、二人ともマブ友です。
毎度、毎度ですが、
今回も、Exhibitionの次の日は、ヤッチャンが豊平狭温泉まで車で連れて行ってくれた。
温泉の前は、5年前初めて食べたスープカレーのお店、「suage」で食した。
相変わらず美味しかった。
今の私の生活、人生は
umu-wakaを通して出会ったご縁でできている。
お客様が、全て友達になっている。
Exhibition中に、お客様(お友達)と頂いたおやつを食べたり、くつろぎすぎている時に
お客様の足音がすると、そのピクニックのような状況を片付けながら
その来客人の顔を見て「ああ〜内輪だからいいや〜。」と皆で言う。
oinari-redを纏った。ぴょん吉さまの初めて見る艶っぽさに一同〜驚く
facebookのタイムラインで、元気がなさそうな友人や、いろんな変化の中にいる友人の顔を
見ると心配になったり、会いたくなってExhibitionのスケジュールを決める。
お見立てのストールの色を通して、新しい魅力を発見して感動したり
お互い、すってんころりんしながら、頑張って生きている。生還している。
変化のトルネードの中に、足を踏ん張って立っている。
皆〜同じ。
私も然るべく。
最終日の撤去までお手伝いを頂くありがたさ〜❤
時の間に間に〜
波の間に間に〜
その間に間にの中に
新しい時の流れを、遠くの景色を見るように感じる。
さゆさ色
〜時の間に間に〜波の間に間に〜
umu-waka Exhibition 粒子@札幌を終えて
一つの時代の終焉を感じる。
新しい波間に
緩やかに〜
緩やかに〜
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お店にディスプレイしていただいたDM
DMのストールの写真を見て「美味しいそうなお菓子!!これ何〜?」って聞かれたそうです。
この6年で行きつけのお店もできました。
知子さんが13年、通い続けるお店。
お店のお客さんとも仲良くなりました。
食の女神がいる雪国食堂、店名は食堂ですが神的な割烹のお店です。
毎回、悶絶する、いや、美味しすぎて奇声を上げる私です。
今回も美味しすぎて奇声を上げたら、これも食べてあれも食べて、飲んでと
隣のお客様、その隣の隣のお客様からお料理がやってきました。
鯛やヒラメの舞い踊り〜竜宮城のような一夜。
雪国食堂の女神、尚さんの優しさにも癒されながら〜。
道内産のその時期の一番良い食材を使ったお料理の数々。
たくさんの人生の財産との出会いです。
他にも、北海道でしか味わえないものづくしは、今回も嵐のごとく、
私の胃袋へと奉納されました。
北海道でしか食べることができない、ミョウバンなしの塩ウニ
ふりーだむな誕生日。
2016.06.08 Wednesday
二人で二人の新しい人生を祝う〜
今週末のumu-waka Exhibition 粒子@札幌。
明日の設営を前に札幌入り。
思い起こせば、初めて北海道のに入ったのは2011年umu-wakaストールフェア@丸井今井百貨店。
当時は、三越伊勢丹グループのデパートへ本部からの依頼で出向いていた。
自分で選んだ訳でもないのに、友人の友人がいる場所へと。ご縁のある土地ばかりに行く事になった。
お客様が、皆、友達になる。戦友のような同士も増える。
私の第二の人生はumu-wakaと共に。
新しい人生ってのは、今のままじゃ進めないって身体の奥が知らせて、何か新しい人生の表現がスタートする。
第二の人生となったのは、umu-wakaから。
序奏曲はある。序奏曲はたいそうしんどい物で、それは花火の後に来る。
ジャスト、今日は仕切り、節目として第三の人生の誕生日にした。
この半年間は、たいそうな序奏曲。
それは、修子さんも同じだった。いや、この数年、出会ってから「人生大変デパート」だなな二人。
今朝、急に今晩の宴が決まったのだが、ベストタイミング。
北海道の美味しすぎる海鮮に舌鼓を打ちながら、ここ半年間の序奏曲の答え合わせ。
そして、もう、祝うしかないって。
お互い修子さんも私も20代の頃はフリーのデコレーター。
愛知の私に、札幌の彼女。
女性だけの、ちょいと、そういう世界が苦手な二人は、一匹狼でその時代を過ごし、
一つの場所では納まりきれない二人は、新しい、険しい道へと走り出す。
そんなところも似ていたのだろうが、背負う質も、とめどなく走る根性も同じよう。
自由奔放そうで、自分より誰かのため意識が強し。
今日は
そんな二人が、同じようにここ数ヶ月、序奏曲を迎え、同じような着地点があったため
お互い、頑張って来た半生を讃え、スィーツの店でローソクを1本、お願いしてお祝いをした。
明後日からは彼女がオーナーを勤めるスペースでExhibition。
楽しく緩やかに頑張り過ぎないでumu-waka Exhibition 粒子がスタートします。
美しいということは苦しいこと。
2016.06.06 Monday
美しいということは苦しいこと。「氷の花火 山口小夜子」
その言葉が今も私の心の中に存在し続ける。
5年もスケジュールが合わなくて、やっとこの日に心理学占星術ザビエのセッションが、映画のすぐ後に待っていたのに
映画を見終えた後、すぐには席から立つことができなかった。
山口小夜子といえば、私が10代の頃、世界のクチュールのショーのフィナーレを決める日本初のファッションモデル。
その当時は、ファッション業界もデザイン業界も今より、遠く高い位置にあったように感じる。
デザインを勉強し始めた多感な少女だった私の感覚でもあるが、この映画の中では、当時の蒼々たる顔ぶれの登場。
現役で活躍し続ける彼らの今の姿に懐かしさと、自身の今、先へのエールをもらいながら、その当時の「トンガッタ」
その種子が、トンガッタ種子だからこそ、時を重ねて美しく生き続けていくことができるのだろうと思いながら
穏やかな味わい深い彼らの表情を見る。
資生堂、セルジュルタンのCM。
クチュールのファッションモデルも印象的だが、この資生堂、セルジュルタンのPHOTOは
永遠の憧れでもあるような。
映画は、ドキュメンタリー。
彼女の本棚の中には、世阿弥まで。その書籍のコレクションの中に表現者としての痛いほどの探究心を感じた。
資生堂との契約が終わるとともに、山海塾へと。
ミューズの表現の先をドキュメンタリーは追う。彼女の表現は時の経が続き、一つの表現の先に、その表現の発酵の上に
新しい表現が熟成されていく。57歳でこの世を去った山口小夜子。
最後のステージとなったファッションショーのステージの、その一瞬、一瞬が
完結したような劇場であった。
一つの表現の先に、またその表現をと重ね続ける。生き続けることで生まれる人生そのもののアート。
美しいということは苦しいこと。
美しいと言うことは苦しいこと。彼女の言葉、映画の中のテロップが、まだまだ私の心の中に存在し続け語りかけている。
表現〜
生き方、暮らし方、自身の精神、それをも超えた内側なのか、外側なのか魂なのか?本能なのか?
何か自身に、自身の「真実」に忠実であればあるほど、苦しいこともしかりで
その忠実さは、一寸も自身に嘘がないそのものを追いかける。だからこそ苦しいものだと。
今も直面する自身の何か、ずっと向き合い続けている何かを思い出さずにはいられなかった。
若い頃からの仕事に対する、表現に対する真実は、いつもその先を見たがるので
いつも苦しい方の選択しかできなかった私。
これは、もう質だから仕方がないのだろう。これからも自身の好奇心、探究心へと続くのであろう。
しかし、苦しさからは脱出して穏やかに暮らしたい、生きたいとは思うのだが。
生きること〜
生きること。その美しさは、何かしら自分でこさえた「その正義感」に忠実であることが「美しくあること」
であったように思う。その正義感の奥には「ルーツ」があったりと。
この正義感は、生き方、心の視点のあり方を変えることで、苦しさからは遠くなるように思う。
これは、映画の後に受けたザビエのセッションを終えてから、住み分けが出来るようになった。
この日は、この映画とザビエのセッション。この二つがセットで、このタイミングで起こることが
ずっと前から決まっていたように思われるような。全てのカードが開かれカードが揃った「今」のタイミングを
待っていたような。そんなストーリー。
ザビエ・ベトコート
まだまだ
私の中で波紋が続いている。
表現の美のミューズからの投げられたそのものは、
まるで氷の花火だ、何故、映画のタイトルが「氷の花火」なのか改めて思ったが、
この映画は、花火のように、私の心の中で打ち放たれたように、自身の中にあるものを浮かび上がらせ
そしてこの先、この映画は、美のミューズが放った光は
私の先の私の心の中を浮かび上がらせるのであろうと。
まるで氷の宝石の中で、永遠に開く花火のように〜。
粒子というもの。
2016.06.05 Sunday
来週末は、umu-waka Exhibition粒子@札幌。
毎回、そうなんですが、Exhibitionテーマを決めた途端に、そのテーマが自身の一人ワークショップのように
色んな事象が、染めにも、日常生活に、そして精神にと、現れます。
今回のテーマは、「粒子」。
非常にヘビーなワークショップであります。泣くことすら忘れるほど、逃げ出したくなるほどの事象もあったりと。
「粒子」というテーマが降りてきたあの場所、あの時を思い出しながら、長い旅の途中、色々な景色を思い出す。
粒子のテーマを持っての染め始めの白い光の中の光景。生まれた色たちの顔ぶれ。
それぞれの色は、曖昧でありながら強い個性を光らせ、それなのに生まれた様々な色たちは集合体になると
お互いを輝かせ魅了する世界を作り出す。
受容、協調性、そんな言葉を超えた気遣いさえ見せない、強く美しい色世界。
伊勢丹新宿店にてスタート
スタートした伊勢丹新宿店は、お祭りのようでした。一つの時代を振り返るような感謝。感謝祭のようだった。
温かな顔ぶれを思い出しながら、過去と未来が交差する時点のようだった。
神楽坂、光鱗亭ギャラリー
その後の3月のExhibition、神楽坂、光鱗亭ギャラリーは、マグマの爆発から始まった。
いろんな出会いの中に大きな世界があった。
様々な粒子の心。
umu-waka初の白泥染めのお洋服のお披露目でもあった。まだまだ制作したいものは山のようにある。
制作したいもの、追いかけたいものを目指していたら、いつか自分の見たい世界、自身のマップが
見えてくるのだろうか?
生多良の色で制作されたグランプリの大島紬を着てギャラリーへとお越し下さったお客様。
伊勢丹での偶然の出会いから〜
神楽坂での出会いや再会は、大島紬から始まったumu-waka、日本の伝統をとの志から始まった自身のこれまでの
mapを見る。伊勢丹新宿店で偶然出会ったお客様は、生多良色の大島紬、グランプリ作品をいくつも持っているとのこと。
ギャラリーへはその大島紬とストールをまとってお披露目。改めて生多良の色の美しさを感じる。
Exhibitionのディスプレイ、ギャラリーの設営に2日間かける私のこだわりは、一枚の反物の色構成をする生多良の
こだわりと似ているようにも感じる。
代々伊勢型紙職人の家系で育った友人は、新しい自身の着物や反物を見せに来てくれた。
本当に自身の歩いてきた道のりを、その明かりを見る。
最終日は、オーラソーマ女子たちの課外授業となったumu-waka Exhinbition。
光と色と戯れる姿は、宇宙から降りたった天使軍団のようだった。私自身、1996年にオーラソーマと出会い
自身のベースにはオーラソーがある。
原点回帰のようなExhibitionだった神楽坂。
光鱗亭ギャラリーオーナー夫妻とお洋服のデザイナー尚さんと
この時から、自身の体のケアを大切にしようとExhibition終了した次の日はホテルで休養してから
帰路につこうと。いつもは母のケアがあるからと、休まぬまま帰路についていた私の新しい試みだった。
一日中、ホテルから一歩も出ず、夜のディナーだけ光鱗亭ギャラリーのオーナー夫妻方と出かけた。
こんな風に出かけるのも初の出来事だった。
東京タワーをのぞむレストランで食事中。春雷が轟く。
春雷は春の到来を伝える雷。雷鳴に驚き冬眠していた地中の虫たちが目ざめるという理由で「虫出しの雷」
心を騒がせる大嵐が吹きすさんだ今日この頃は春雷だったのね。と皆、新しい春を臨もうと。
春を終え、初夏を匂わせる高松Exhibitionを終えて戻ると半袖の季節となっていた。
高松Exhibitionは、LOVE。愛しい人を思って流れる涙の美しさに感動した。
今まで以上にLOVE、特に恋愛やパートナーとのあり方、LOVEに向かうための自身の女性性のテーマのカラーが
多く嫁いだ高松。
色名が決まったら連絡をするという宿題が残っている色。今回、多し〜
Loveのテーマは、その後、私自身へのワークへともつながる。
そのLoveテーマの引き続きの課外授業になったのは、高松Exhibitionを終えた翌週。
高松の友人が急に行くことができなくなったEXILE、ATSHUSHIにコンサート@大阪、京セラドームツアーへ行くことに
なった。
メジャーなコンサートは久しぶり。EXILEも詳しくないままの初参戦だったのですが、会場のLOVE集合意識に共鳴
したのかコンサートが始まってしばらくすると、私も「ATSUSHI LOVE」となり久しぶりに感じた恋心とともに。
コンサートから戻り、2日間は恋するモード。たまたま偶然の経緯で塗り始めることとなったのがオーラソーマボトルの
スーパーラブレスキューとなる110番ボトル。大天使アムブリエルが誕生した5月31日から疲れ切ったLOVEの
ケアが始まりました。このボトルの色合いのストールたちも子宮ケアのニュアンスを感じて
高松では、たくさん嫁いだ色群でした。
来週末は
札幌でのExhibition。
どんな「粒子」を感じるのでしょうか?