umu-wakaは日本の職人さんたちに担がれた御神輿ですね〜。1
2014.01.31 Friday
umu-wakaのストールの布地は、
こんな雪深い郷で織られています。
大島紬の軽くて温かいニュアンスを表現するのは、
ここのオヤジさん所のものしかない!と
6年前からのおつき合い。
オヤジさんとこの年季が入った秤。今も現役の秤です。
出会いは、東京ビッグサイトで開催された
テキスタイルショー。起業が大きなブースで
「どうだい!かっこいいだろう!!」なんて雰囲気で
アピールしているのとは別に、小さな複合ブースで
商品の陳列台の上は、ぐちゃぐちゃのまま、
オヤジさんは、立っていたけれど、
ここの布だけは、生きているように感じた。
大きな起業のブースは、嘘くさくて
オーガニックコットンだの、植物染めといっても、
化学臭が漂っている。化学が悪いわけでもないのに
キャッチコピーのみの嘘くささ、和紙の布だの、
日本のうんぬんかんたら〜っと語っているが
全てが嘘くさくてウンザリしていた中で
ぐっちゃぐっちゃの中でも「生きている!」ニュアンスと
「嘘がない!!!ここの布は!!!」と感じた。
オヤジさんと話していると、
私が大好きなセレクトショップに置いてあるブランドの
作家さんが、やって来てオヤジさんに100枚注文していた。
うわ!うち、100枚も仕入れられない…。
でした。が。
全ての日本の手作業です。1枚1枚布の表面を仕上げます。
古くからの絹織物産地にあるオヤジさんの工場。
先祖代々受け継がれた織物を!と!!!
海外からの織物にやられ、回りが会社をたたんでも、
大きな借金を抱えても「日本の良いものを」と
探求と開発と正直な物を追求し、有名ブランドのものも
制作しているオヤジさん。
私は、最初の頃、ビビりながら少量、発注していました。
「wakaさん、何も聞いてないけれど違ったらゴメンネ。
一人で大変でしょ。
うちを倉庫と思って1本から注文してもOKだよ。
そして、支払いはお金ができてからで良いよ!」
と、次の日、100万円分のストール布地が届いた。
この数年、その言葉に甘えて、
『ツケ」で少しずつ返済しながらオーダーをしてきた。
今回、払い終わり。
2年がかりで開発した極細繊維の麻の織物
昨日、オヤジさんから電話がありました。
「wakaさん、今、わし、ニューヨーク。
ニューヨークからも発注がきたよ!
これからの時代は、正直な物を作ってきた
我々の時代よ!
わしも、やっと父親の時代からの借金も
半分返せてね〜」と。
そして、昨日の電話で初めて知ったのですが
私に声をかけて下さった時は、五千万円の返済を抱えて
いた最中だったことを知りました。
この数年、ずっと、うちの「ツケ」を見守りながら….。
「苦労した者は、わかるからね〜。」と。
たくさんの日本の職人さんに支えられて
今のumu-wakaはあります。
思い出します。
私が以前、100枚、オーダーをした時
「wakaさんも、100枚オーダーできるまでになったんだ!!
嬉しいね!今晩は酒盛りだね!」
と喜んで下さった。
私は、育てられたんだね〜。
2014年1月16日、今年も生多良の色が本場奄美大島紬・グランプリを受賞しました。
2014.01.28 Tuesday
神秘の森(2014年本場奄美大島紬グランプリ作品)
人の智慧では計り知ることができない森
〜世界遺産登録への願いを込めて
http://umu-waka.jugem.jp/?eid=1218
http://umu-waka.jugem.jp/?eid=1219
http://umu-waka.jugem.jp/?eid=1220
興奮の新年会からのモヨウ↑
元気に復活した生多良(うむたら)です〜☆
興奮と感動の新年会のご縁からの、
新たな展開の話を、生多良に伝えようと電話をしようと
思っていたら、生多良から電話が…..。
「wakaさん、今年もね〜
総絣の大島紬が
グランプリを取ったがよ〜。
これで、七連覇よぉ〜!!!」
「それからね、横絣の大島紬も優秀賞を取ったがよぉ。」
この総絣の大島紬は、通常より相当細かい染め糸作りで
通常の刷り込みの染めだけでなく、染めた筵(ムシロ)の
目を破いて糸を抜き、そして抜いた後に、
また刷り込みの染めをするという、
気が抜けない緊張に緊張の染め工程。
生多良は、この糸作りが完了してから昨年、くも膜下出血で倒れた。
生多良の命を吹き込んだ「神秘の森」です。
1本の糸を染めるためにある筵(ムシロ)大島紬だけの特殊な技
この筵を破いて縦糸だけを取り出します。
この数年で、総絣の熟練の技術を必要とする大島紬は
確実に制作できなくなるからと、生多良の大島紬の親方さんは
50年後にも残る大島紬を作ろうとずっっと頑張って
まいりましたから、七連覇です。よ。ね。
そして、
何よりも嬉しいのが、
復元・特殊・新商品部門優秀賞をいただいた
横絣の大島紬。
横絣といえば、今はなき大島紬のブランド「都喜ヱ門」。
この都喜ヱ門を復刻!
横絣を復刻!!!と
この横絣の技術を、ここ数年、生多良は研究してまいりました。
昨年、その横絣の復刻を成功させ、
さらに進化させた生多良。
大島紬業界で、みんな横絣を研究しながら失敗していたので
ははは、昨年の今頃は、色々と大変な騒ぎもあったのですが…。
総絣の大島紬は熟練の技術が
ないと製作は難しいので、継手もなく高齢化の職人の世界!
横絣で製作をすれば、今後も作り続けられます。
だから、
グランプリ七連覇も嬉しいのですが、
長年の研究の末、成功させた横絣、そして未来へと
つなぐことができる横絣が、賞をいただいたことが
格別に嬉しいことです。
全部で6部門、受賞です。
近年、大島紬といえば、
総絣の気が遠くなる程の工程を経た
緻密で繊細な柄を表現する総絣の大島紬。
縦糸だけでも柄がとても緻密に見えます。総絣の大島紬
その総絣がこれからの未来では、製作が困難で
横絣で制作しないと、大島紬は織り続けられない。
これは、悲しくて悲しくて悔しいけれど、
でも、
こうして、作り手側も試行錯誤の研究と探求で
魂の限り頑張っている。
大島紬に生き続ける、その体力の素晴らしさは
人の魂と命の数という分母があるからだと思う。
表彰を受ける本場奄美大島紬の興紬の親方さん〜
大島紬の底力!!!
大島紬には、まだまだ底力が生きている私の魂もその大島紬の経の中へと一つの絣の点描のように。
感動と興奮が沈静化し根づき勇気へと変容〜。種を蒔くのですね。
2014.01.23 Thursday
そんなこんなの、
感動に感動が続く出会いは、まだまだ続いております
今日この頃。
http://umu-waka.jugem.jp/?eid=1219
大感動の記憶の時蒔会を演出されたGさんから
大島紬の新たなスタイルをクリエイトしたら??
との提案。Gさんは、かっちょいい友禅染の着物も
プロデュースされていて、その資料や友禅染も見せて頂いた。
凄いな!!と、Gさんの色々な仕事を見ながら興奮するものの
大島紬を代表する龍郷柄
私にとっては、神様の聖域である大島紬。
若い頃の母の着物をリメイクして趣味のバンドの衣装に
したことはあるけれど、
大島紬をそこまでリメイクしたり、着こなしをアレンジするのは
とてもハードルが高いことで、
美しい新しい大島紬、umu-wakaの大島紬のデザインの
イメージはすでにあるものの、
もっと大きく変革するというお題を頂き
2014年、台風3号はまた突風でございます。
今まで大島紬の小物を作るために
大島紬を裁断するだけでも、身を清めと塩のお風呂に
入ったり、心が安定している時..と、ハサミを入れるタイミングは
長くかかりましてね。。。。
大島紬誕生地・奄美大島の蘇鉄の群生
特に大島紬を代表する龍郷柄は、山の守り神のハブと、
島の人達の生活や、命を支えた蘇鉄からできています。
生多良は、龍郷柄と奄美大島を代表する画家、田中一村の
奄美の大自然をモチーフにした柄の大島紬の糸を染める時
いいかげんな気持ちで染めた時は、罰があったと…。
その話しも、とてもわかる程、紬からは、そういう
神々しさが放たれているのです。
奄美を代表する孤高の画家・田中一村
でも
でも
その後、能楽師の勝海登先生と、日本の伝統文化を伝承する
お話なので、心が沸き立ち、
そして、大きな大きな背後、想像を絶する、
私とは比べ物にならない
背景を背負った、能楽師、重要無形文化財保持者の
勝海登先生が
新たな表現に挑戦されていることに
勇気!勇気!!!です。
http://umu-waka.jugem.jp/?eid=1218
そして、
現に、私は、伝統の雅楽をエンターテイメント、
そしてロックにまで変容させたあ、あの音蒔会の
コンサートに、自身があれほどまでに興奮して感動して
その記憶が、ずっとずっと残っていたわけでして
その音蒔会を演出、プロデュースされたGさんに
提案を頂いたわけですからね。
自身の中にあった正義と決め事。
ほんと、一人ではその殻は破れないもので
こうして出会ったご縁の中で
小さな殻は破れるものですね。
感謝感謝!!!
イタリアのデザイナーが日本の着物をイメージして作ったガウン
みたいな服なんぞを日常着にながらお仕事よぉ〜
そう思ったら
奄美の民俗学から、古い文献やら、歴史書をまた熟考。
そして
そして
色々なものを引っ張り出し〜〜。
そしてそして
不思議な着物やら帯やなんやらを取り出し
一人でそちらの方向へまっしぐらと進むのでございます。
生多良はよく言います。
「wakaさんの探究心は、半端じゃないからね〜
だから、ここまで来ることができたんだよ。」と。
さてさて
そして
生多良に報告の電話をすると、
さらにまた感動な出来事が続くのでした。
また後日〜。
新年会の驚きの感動はまだまだ続くよどこまでも。
2014.01.20 Monday
時のトンネルの中に〜
2014.01.20 Monday
今回の新年会で、勝海登さんの貴重な講演がありました。
泣く所ではないのですが、私はお話の途中から
涙がぐわんぐわんと溢れてしまいました。
普通は、泣くところではないのですが.....。
そんな私をも、静かに変人扱いせず
温かくそのまま受け入れてもらえる環境のある
そういう新年会の顔ぶれです。
すべて約束事から始まる能。
昔は、2500曲あった能の音楽は、
今、250曲となりましたが、その中に人間の生き様や
機微、教えのような全てがそこにあると。
こちらの古い表は寄り添うように舞うのですと。
そう話されると、能面が息づきます。
ずっとずっと、先人から受け継がれた能面には、
幾人もの汗が、この面の中に重ねられ
その美しい汗じみは、タイムトンネルのようだと。
能面の裏。感じるものがたくさんたくさなりました。
受け継がれた百年以上も前の能面の「存在」というか
その光る命に触れるだけでも感動以上だったのですが、
勝海さんの言葉の中に
私自身、大島紬を通して色々と感じてきたこと
想いなど、言葉にならない
その言葉のかけらが、すうっと
勝海さんの言葉の中に、すくいあげられたような
説明不能な、内側から湧き上がる思いとともに
涙がしずしずと...。
面を入れる絹の袋も百年以上前のもの。生きているんです。
私は、
大島紬に触れるたびに、
そして、umu-wakaのストールもですが
ふれるたびに、思います。
新品の大島紬であっても、たくさんの職人さんの手から
手へと渡され作られた大島紬。
現実に携わった職人さんだけでなく
1400年の歴史ある大島紬に関わってきた
全ての人の経を感じるのです。
戦後、大島紬が大爆発的に売れた時代に
息子を娘を内地の大学に入れるのだと
朝から深夜遅くまで機織りをしていたお母さんたちの
元気溌剌な笑顔。そして、脳天気に可愛く走り回る子供達。
紬の好景気の恩恵で飲んだくれていた親方達。
そして、薩摩藩統治時代、年貢に苦しめられた
債務奴隷(ヤンチュ)の生活。
戦後、アメリカ統治時代の貧困な時代。
織工になるか身を売るか?の女性達の不遇な時代。
大島紬の歴史1400年の経の中に寄り添った人々の
息づかいを感じながら
今、自分の手元にある大島紬や
umu-wakaの色の中に感じ、その長い経の中に息づいた
人々の経があるから今の色がこの大島紬があるのだと。
そして、その織りと染めの中に
家族や先祖を大切にする教えや
人間の生き様を機微を教えられたような
受け継いだような感じがしていました。
お話を伺ってから
やっと落ち着いて
あの感動の中にあった
私自身の言葉を
やっと本日、拾い集めることができました。