ブログを引っ越しました。
新しいブログはこちらです。
waka-nudite ブログ
https://waka-strala.theblog.me/
そして
また引越しです。
↓
よろしくお願いします。
]]>
8月。アトリエ前の木曽川上では8月10日の花火大会に向けて、
8月1日から毎晩10分ほどですが花火が上がる。幕開けへと。
大きな決断をして1週間。決断への波紋。決断すると様々なことが納まる場所へと落ち着き、
古い時まで視野を伸ばすと、今の全容が見えてきた。
手放す。手放すと見えてくるもの、手放さないと見えないことがあることを知る。
先月末にある決断に至るまでのこと、そしてその決断からの始まりをお伝えします。
昨年、師匠の日本伝統工芸士・大島紬染色家・生多良(うむたら)が健康状態が悪くなり、
染めが乱れ数百枚のストールに事故が起きた。2012年の大病の後遺症。
大島紬ならではの白泥染めにも原料の調達問題の危機もあり、
昨年は、一人で直しや、それに伴う研究の日々が続いた。
問題解決のいとぐちと共に、新しい色の表現をする様々な染めを取得した。
そして、今年に入り、今までの3倍以上の時間と工程がかかりますが、
新しい方法でストールを染め始めました。色のレシピも、私自身のレシピ作り。
若山真由美の染めが始まった。umu-waka時代とは違う、力強い色世界が生まれた。
色の降ろし方も変わってきた。そして私自身の手の内、心の内だけでは納まりきらない色達が溢れていた。
自分の手の内だけには納まりきらなくなった溢れる新しい色達。
私以外の誰かの視点で、この色達を見て観んじた言葉が欲しい。と思いながら、
生きる事のように、息をする事と同じような感覚で染め続ける日々。
7月の末、この日も早朝からペールロイヤルブルーを染めていた。龍さんから連絡が入った。
Rue de Ryuオーナー・ 龍 多美子 女史 http://www.ruederyu.com/profile/
私が10代後半、龍さんはトレンドを引っ張るファッション雑誌で、美しい写真と美しい文章の中にあった。その憧れの龍さんとはumu-waka、オーラソーマのご縁から〜
「wakaちゃん、色が切れたよ。色needよ!!
そして白泥染のストールが欲しいよ。」と。
龍さんの月末の名古屋出張後、私の地元愛知県、犬山温泉の癒し&アトリエ訪問の旅が決まった。
旅の予定を決めた直後、急に空が暗くなり、先月、全国区のTVニュースで話題になった犬山集中豪雨が訪れた。
その集中豪雨の中の落雷で、国宝犬山城のシャチホコが壊れ、実家近くと、幼い頃からの遊び場であった
東之宮古墳の麓が土砂崩れとなった。東之宮古墳には、現在、国宝犬山城を守る針綱神社が昔あった場所です。
何かが目覚めた、何かが地中から蘇った、そんな想像をしてしまうような、不思議な天気の日が続いた。
そして、その1週間後。龍さんとの犬山の旅の中で、私の大きな、嵐を呼ぶような決断の時を迎えました。
龍さんは、嵐を、目覚めを呼ぶパワーを持っているのでしょうと。
さて、龍の気が満ち溢れているという国宝犬山城下の源泉のある犬山温泉。
源泉掛け流しの温泉がある名鉄犬山ホテルで龍さん三昧の夜、美味しい食事で満腹以上となり、そして温泉三昧。
そして、新しいストールの色とそのバイブレーションを、私以外、初めて、その新しい色の全容を見た龍さんからの言葉は、
もうumuはいないよ。
ブランド名もロゴもumu-wakaごとサレンダー、
手放さなくちゃと。言葉、文字は宿るからね。と。
午前1時の「お休みなさい」の言葉は「手放すこと」の余韻を残した。
おやすみなさい。の言葉は、手放しなさい。のような。
部屋を暗くして、ベッドに入っても頭が冴える。
umu-waka、うむわかストール、とやっと認知された今。それを手放すのか?
umu-wakaのこの重い十年を振り返る。ぐるぐる思考は回る。
会社の年運は来年「9」だとか、個人は「5」だとか計算したり、
新しいブランド名はどうなる?決めるまでの自分を掘り起こすための重労働、
そんなことを考えていたら汗だくとなり、ベッドでは眠れず部屋から出て、
寝静まるホテル館内にある、きれいな庭が見えるソファーで一人、
自分を感じてみた。
umu-wakaを手放した自分の未来
umu-wakaを手放した自分の未来を、自身の肉体で感じて味わってみた。
未来軸に合わせて、自分の肉体の感覚を聴く。
肩が軽くなり、自由な広がり。。。。
体に感じる感覚が「真実」を知らせる。
それでも、ブランド名を変えるにしても時間と労力がかかる。
徹底的に自分と向き合う容赦のない時間が必要となる。
ブランド名が決まったら、そのドメインを取得、それに伴う入れ替えの作業等、
様々な事情がたくさん待っている。その膨大な労力に向き合う時間を考えると尻込みをしそうだった。
umu-wakaの響きも好き、ロゴを製作してもらった物語もドラマティックだったし、
そのロゴも封印?そしてumu-wakaをはじめて十年、会社にして本格的に活動しはじめて9年目。
この長い時間に積み上げてきたものを手放すなんて。と思うと、頭がクラクラした。
今年に入って、新しいumu-wakaを作ろうと格闘していた自分。その月日を思うと汗が吹き出る。
しかし、手放して新しい美旗を上げると思うと、スッキリした感覚があった。
この日は衝撃で朝まで眠れなかった。次の日はぐったりしていた。
それでも、その衝撃の強さ、現れた真実の余震の中、新しいブランド名は何にしようか?とか、
ドメイン検索。仮のホームページ、ブログをデザインして、まるでビジョンマップ作りをするかのように
Webにあげてそのニュアンスを見て、言葉を書き綴っていた10日間。
半信半疑ながらも、umu-wakaを手放す覚悟はできていたのだろう。
そして、
一度、手放すと見えてくる
そして、手放さないと見えないこともあることも知った。
umu-wakaを手放し、waka-nudité へと。
新しく自身が染めるストールの名前をwaka-nudité ワカ・ヌーディッテと決めました。
nudité ヌーディッテとは、フランス語で「ヌード、裸体」という意味です。それは、うちのストール色を纏った時、
その色が、纏った方の、つつみかくせない才能や個性、魅力が丸裸で湧き上がること。
そして、その方の生き様、人生の経が織りなす美しさがふわりと湧き上がり輝く。
その丸裸の、一糸まとわぬ、その人の佇まいに、「生きることの美しさ」
を見る時の感動。
私がストールを染めること、色のお見立てをすること、そのときめきは、そこにある。
一糸まとわぬ、その丸裸の美しさと共にある色。
umu-waka時代は、日本の伝統文化、大島紬と具体的だったので、その目次に沿って自分の心の言葉を
そして社会性や使命感も綴っていた。新しい染め方、染め材料も増え、今は自由に、
「日本だけの枠」にとらわれないで染められるという自由がある。
そして、ワンワールド。世界中の人の色は共通。
だから、外国語を選び、響きの良いnudité(ヌーディッテ)と決めた。
日本語もフランス語も英語も色んな国の言葉で色名を作っていこう、
チャンプル(沖縄の方言でごちゃ混ぜ)でファジーにwaka-nuditéは表現していこうと思っている。
waka-nudité 、そしてwaka-nuditéと決めた時、アトリエにある色たちの顔が「waka-nudité」になっていた。
2007年、日本伝統工芸士・大島紬染色家・生多良(うむたら)との出会いがなかったら、今の私はいない。
そして今の、この決断さえない。
たくさんの職人さんたちの顔。織工のおばあちゃん、締めバタ職人のおっちゃん達の顔。職人さんから頂いた
ヤクルトタフマン。大笑いの職人さんの忘年会。職人さん達の心意気に助けられたこと、織工のばあちゃんの涙。
大島紬の栄華盛衰、歴史文化、生き続けるその文化界隈の人々の魂。大島紬を通して奄美、琉球の歴史文化から
日本のことを探求した事。西陣織・山口伊太郎氏の源氏物語絵巻の個展にて生多良の色を季節の終わりの色まで、
この腕で作っていこうと決めた時のこと。
そして何よりも、大島紬のピンの色を、その色の成り立ちをこの目で見て触れた時間。
肌身に、この体の中に、日本の真髄の色を刻んだ私の角膜。umu-wakaの、重いその時があるからこそ
「waka-nudité」へと移行することができる。
真髄にある核がumu-wakaの十年。感謝と敬意をと。
「waka-nudité 」の中に、「nudité -japon 」の部門を置き、そこに umu-wakaを。
生多良が染めた残り少ないストール、そして、大島紬ならではの「白泥染めストール」
「大島紬反物」をwaka-nudité の中で表現しいく。
うちのストールの布地を織ってくださる古くからの絹織物産地、日本ならではの繊細を極めた職人技を
束ねる織元さんの美しい物作り。また、Exhibition、ストールフェアの開催で全国を巡った時に、
その地方ごとにある織物文化などを巡った。織物は祈りであると知った。
そして染めの研究からたどり着いた日本の様々な文化。今も探求中だ。
若山真由美、個人としても能の世界を少しだけ学び初舞台を踏むことができた。
能の精神性、神々に近いその文化は奥が見えないほど。
日本の文化を、waka-nudité スタイルで表現していくnudité-japon
それは先の楽しみでもある。カテゴリーにこだわらず、waka-nuditéの視点で、
私自らの表現で作品や、言葉を発信していこうと考えている。
]]>
銀河新年明けましておめでとうございます。
本日は、マヤ暦の新年。明け方の夢は、地震に遭遇。
そしてアトリエに着くと、太い虹の柱が2本、お城の背後から立っていました。
強烈な青いスペクトルの嵐の1年の締めくく利となる師走の7月24日は、最後の大きな青い嵐が訪れました。
昨年、一十永光博士の講座を受けて、覚悟を決めての1年でしたが
まさか、師走に総仕上げ、次に明け渡す最後の大きな嵐が訪れるとは。。。。
↓ 青いスペクトルの嵐の年の概要
炎の中に身を投じなさい。まだ投じるのか?な。。。
新暦、旧暦、マヤ暦
ホロスコープ、星読み、算命術、ヌメオロジー、いろんな人生の流れなどを知らせるものが多くありますが、
自身の大きな出来事や、日常は、その情報を知らずとも、シンクロしていて、
引きが強いのか?素直なのか?よくわからないが、
今の現状を、その輪郭を理解させるものでもある。
嘆くことなく、真っ只中にいる時は、ふつふつとその現実と向き合い、
そんな時に、メッセンジャーのように現れる友人知人、憧れの姐さん。
ご褒美のように、峠の茶屋のように、山超え、谷超えたところにメッセンジャーと出会う。
泥水を飲み倒し、まるで豪雨の中の野良猫のようになっていた私を抱き上げるように。。。
まだ、その決断を、明確に文章にできないようで、
本日は、ここまで。
そう、その決断は、先の色、
自身が染める色の「潔さ」へと繋がると思うのです。
来月の新月には、公表ができるでしょう。
決断の後は、また大きな山々が待っているな〜と。
]]>
もうじきマヤ暦、青い嵐の時が終わる。マヤ暦謹賀新年の時は間近。そう思うと、それだけで肩の荷が降りるというか
緊張感が外れ、ホッとする。260日間の青い嵐の時。
それはそれは、嵐の中に身を置き、まるで洗濯脱水機の中で遠心分離機にかかったかのごとく、
あまりマヤ暦には詳しくないのですが、青い嵐の時は「ありえない!」ような事だとかも多く起きる。
感情も諸事情も青い嵐の遠心分離機にかかって、古いものとか、そういうものが飛ばされる。
そんな青い嵐の時の終わりが近づくにつれ、新しいumu-wakaの私の染め色の骨格が見えてきた。
そして新しいホームページ、ブログ、ショッピングサイトの準備を始めました。
アトリエから撮影した写真と同じアングルの画像がニュースで流れた。
そうそう、準備を進める中、先週、私が暮らす愛知県犬山市に大きな嵐が3日間のうち2度訪れ
全国版のニュースでも、たくさん放映された。
それは、マヤ暦青い嵐の時の師走前を現すがごとくだなと、今、思います。
嵐が訪れる前は、ある青を染めようと準備をしていた。そこへ龍さんという素敵なお姐さんからメッセージのやり取りを
終えて、青を染めた後、急に雲行きが怪しくなり、風が吹き荒れ、雷。
そして目の前が真っ白になって見えなくなるほど、雨が土砂降りを通り越すほど降った。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170712/k10011056071000.html
この目の前が真っ白に雨と風が吹きすさぶ時の落雷で、国宝犬山城の鯱鉾が壊れた。
私と同じ年のシャチホコ。シャチホコは、火事から守ると言われますが、落雷の後の火事から国宝犬山城を守り、
そして、その界隈にも大きな建物があるのですが、民を守るがごとく、犬山城が落雷を受け止めたと感じています。
濃尾大地震の時に壊れた国宝犬山城は、城主の資金だけでは修復ができなかった時、犬山市民の多額の募金を加えて
修復された。犬山市民が愛する、自身の心の殿様のように感じる犬山城。
アトリエから川を挟んで、真正面にある鯱鉾に落雷。
あまりの激しい天候が映画のようで、興奮してベランダに出ていた私は、後で思うと恐ろし事だと思うのですが、
何か、その時は、恐怖は全くなかった。
そして、国宝犬山城を守る、針綱神社が、もともとあった東之古墳の麓が土砂崩れ。
私が幼い頃から、遊んでいた、その山が土砂崩れ。
もしや、あの目の前が真っ白になった嵐の時に、龍神様が立ち上り、犬山城を守る針綱神社が
もともとあった場所、東之宮古墳からも王様も立ち上がったんじゃないかと
そんな風に想像をしてしまった。
そして
その次の日も、夕立が少し、そしてその翌日は、集中豪雨。
初めて避難指示まで出るほどの集中豪雨。犬山のあちこちが冠水した。
犬山城の麓、もともと犬山城の鬼門にあたる場所、彩雲橋が流されるのではないか?と思うほどの濁流。
逃げ帰るように、鵜飼船が豪雨の中、帰還。
アトリエの目の前が毎日のようにテレビニュースだった。
こんなことは、今まで生きてきて初めてのことだったが、翌日は快晴、水も引いた。
この3日間が過ぎた後、何かが、その空気が変わったような感じがした。
集中豪雨がやんだ後、すぐに大量のトンボが、アトリエのベランダの上だけに飛び続けていた。
そういえば、
瑠王色・ruou-iroは、犬山城の天守閣から景色を眺めながら生まれた色でした。
私自身のお城の主人になる色。
そして今年に入って、新しく瑠王色のレシピを完成させた。
今まで安定しなかった瑠王色が完成した。
そして、もっと心軽やかな、未来の色言葉を添えて瑠王色が生まれた。
そして、瑠王色グループとして、その界隈に5色のストールの色が完成しました。
また、
今までになかった、青色グループが4つ生まれました。
それぞれ、色言葉も全く違うグループたち。
新しいブログを始めたら、一色ごとアップしていきますね。
青い嵐の時の終わりに近づき、たくさんの青、
そしてロイヤルブルーたちが生まれています。
]]>
最近は日の出とともに起き、根を詰めて染めていたので、昨晩はご褒美の鰻丼です。
瀬戸の焼き物など、陶芸の窯がある地域には美味しい鰻屋さんがある。窯の前での仕事は火の熱さで体力を消耗するからと
体力がつく鰻をいただくそうですが、私も毎日、染めで火の前なので体力消耗気味でしたので「鰻」です。
さてさて、今秋は、Exhibitionを開催しようと頑張って染めていましたが、染めれば染めるほど、色の欲が増すばかり。
そして、生多良と9年あまり、4つの目と4本の手で一緒に染めてきましたが、生多良の健康状態の都合で
今年からは、私だけで染め始め、
染めれば染めるほど、私の色世界が広がる。
もっと染めたい色、もっと色で表現したい世界が広がる。
生まれ出る新しい魅力の色の数々を、お客様にも見ていただきたいというより、見せたい!!!という思いや
会いたいし、皆さんの変容の色も届けなくちゃ。という思いと、もっと自身の表現が完成させてからという思いの
ハザマにおりました。
今、世の中の流れから必要な色だけをピックアップして、それだけでも持って各地を回ろうとかと思い、
足りない色を超特急で染めていたら、
]]>
先週の始めは心身ダウンで一つのテーマを超えた。
先々週のオリーブ三昧の後、ターコイズ、そして青三昧で、
ザビエからの私の重いテーマを超えたように思う。
無心に染めていた色の流れから、
無意識に色処方されていたのだろうか?
]]>
一昼夜、色々な青色を染め続けて朝。
物干し場が拡張されたベランダに出て、幾色かの青を最後に干した後、
新・瑠王色(るおういろ)越しに見る犬山城は、夢なのか現実の景色なのか?
湿度の高い空気のせいなのか?染め続けて蒸している部屋の中に居続けたせいなのか?
先週は、何をしていたのだろうか?
多分、ずっと染め続けていたのだろう。この2週間、生きているというより染めているという
言葉の方が似つかわしい。
先々週は、オリーブ色ばかり染め、今週は、多分、ターコイズ、そして青の中にいた。
先々週と今週の境目には、心身、少し疲れて潜り込んだ。
そしてターコイズ&ブルーの後、心の闇が晴れていた。
ハンガーにかけていた新しい色群を、箪笥に並べてみた。
こちら側は、イエロー、紫色の中間色から寒色系のグループ。
色の骨柱、色群の骨格ができていた。
実際の色は、写真よりもっと繊細で色数も多い。
まだ色止めをしていないので、染めた色の上に色を重ねて染めるかもしれい。
まだ、色調整の染めをしながら、それぞれの色の具合、織りの具合で柔軟のデザインを施す。
今年に入って、ゼロから染め始めた新しいumu-waka。
いや、マイナスから始まった新・umu-waka。昨年、次元の切り替わりを知らせるように、
ムラになったストール達の直しから始まっているから、マイナスからのスタートなのかもしれない。
1枚から、1色から初めて、半年。
全てレシピも1からで、
ここまで来れたのなら、自分を褒めてあげよう。
お気に入りの新しいオレンジ群。夕梦色(ゆうむいろ)が確定。
10年ほどかかって、作ってきた色達のボリュームを
この半年で、今まで染めていなかった、新しい色群まで取り出すことができているから
ある意味、気が振れたような生活となっていたことは、いたしかたがない。
青、一つをとっても、今までに青色の3倍の色数だ。
まだまだ、染めたい新しい色は幾つもある。
しかし、一気に染めては、この先の人生の楽しみを奪うことになる。と。
楽しみを先に取っておこう。
そう
貪欲に染め続ける月間を今月、明日から休止。
woo-me群 雛紅色群 珊瑚・産み色群
明日からは
一足早い夏休み気分で、染めをしたり猫達と過ごそう。
残りの染める色が終わったら
アルバイトさんと一緒に色止め、熱処理、柔軟難度の仕上げをしていこう。
さ!
秋のExhibitionの準備も始めていこう。
]]>
最近は、1鍋、1枚の染めにしているので、一枚一枚のエネルギーが変わる。
さて、最近は、オーダー染めが続いている。
いつも対面でストールの色んなのお見立ての時は、漬置きと称して必要な色をお客様にかけ、
その色が入ったら、次の色を纏っていただく。
最後に似合うを超えた、ある輪郭、新しい顔がアップデートされた色のストールを迎える。
そんなセッションのようなお見立てで迎える色のストールは、
先の未来のエネルギーをお渡ししているようです。
人によって、その環境によって時間軸は変わるけれど。
今、お誂え染めをしていると、染めながら同じことをしている。
一色を染めながら、色を遠隔で入れているようです。
まずは、ファーストイプレッションで見た色を染める。
染め終わると、次の色が上がってきて新しい色を染める。
しばし、時を置き、お客様のニュアンスを感じて、また染めたり、その色になったりと。
その過程で新しい色が生まれたり、新しいテーマの色群が誕生する。色言葉も始まる。
面白い現象です。
先々、お誂え染めを新しくメニューに加えようと思っています。
詳細が決まりましたらアップしますね。
今は、今秋、Exhibitionを開催しようと、毎日、コツコツと染めています。
待っててねぇ〜😸
さあ、今日最後の二枚を干したら近場の温泉♨へ行くぞ〜
]]>
新月、満月前は、いつも染めダッシュモードになる習慣ができているように思う。
新月JUSTの午前11時を前に、昨晩から染めが止まらなくなり完徹で迎えた。
昨晩は、新しいオレンジ系から始まり、ある一つのイエロー、その後は、オーリーブ系を14色染めていた。
明け方、最後に染めた色はサイケな黄緑。
染めている時に、「走れメロス」となんだか呟いていた。
歩くエレベーターに乗っているように、スムーズに進むというキーワードの黄緑色。
今秋は、紺色、ロイヤルブルーの洋服に、この色のストールを纏いたいと思う。
動かしがたき紺色&ロイヤルブルーのテーマを、新しい次元、リズムの世界へとするりと移行する。
そんなことなのかしら?
そして、この辛子色のようなイエロー。
様々な混乱や雑多に見えるその時から距離感を保ちながら全体像を見る。
地に足をつけたイエロー。
これからの時期に必要な色だなと思うので、染める枚数を増やそうと思っている。
しかし、眠気が襲いながら、ほぼ左脳の動きゼロで染めているときは、不思議な言葉や物語が、
脳内でメリーゴーランドする。
色名、色言葉を具体化するには、暫し先になるかしら。
オリーブだけで
こんなに染めたので、色名や色言葉をダウンロードするには時間がかかりそうだ。
しかし、秋はまた、Exhibitionを再開したいと思っているし
ダウンロードするシーズンが楽しみでもある。
さて
夏至、新月を、一つの句読点として目指してきたこの2ヶ月。
昨晩のロングラン、トライアスロンのような染めを終えて迎えた新月開け。
ふと見渡すと、これから先の人生家具の配置が、区分けされ着地しているように感じた。
2年半前に越してきて、実際のアトリエのレイアウトがこんな風になるとは想像もしていなかった。
まさかベランダに簡易シンクを配置し、文明進化を取り入れて物干しを駆使して、
135cm幅のストールが16枚も、干せるようになっている。
風水、間取り、、、、人生デザインとシンクロするね。
染めレシピノートの分厚くなったきた。
2017年夏至明けの新月に生まれた色は、この先を予感させるようだった。
]]>
昨日は名古屋平成中村座へ行ってまいりました。
幕の内弁当・松
幕間の30分では食べきれないほどの量だったので超特急。とっても美味しかったので、もう一度味わって食べたいと願う。
初めての、ごひいき筋の席。
役者の表情、役者が動けば香りを感じられ、
幕が上がった瞬間から七之助さんの美しさに魅了され、
勘九郎さんの影の中に勘三郎さんの息を感じる。
言葉では表せない余白のある感動。
写真は「隠れ勘三郎」18個勘三郎さんの目がいたるところに描かれている。
完全OFFの日に、平成名古屋中村座。
その言葉にはできない、その感動は、私の中の要所要所のいくつかの場所へと。
]]>
気づくと6月も半ばすぎ。
大きなこと、そして色々なことがあったり、それは染めとともにであったりと。
時と心、そして人生そのものの「ing」の重ね、重ね。
今日は、染め人の先に入ったんだと、まるで富士山の7合目まで登って、登ってきた自分の道を振り返るような日でもあり
そして、確実に違う段階に入ったんだと確信した日でもありました。
今朝は、染め続けての朝陽の中に
umu-wakaの、全くなかった方向性の新しい色に自分が嬉しくなっていた。
昨晩は、夜の宴の会で名古屋まで出かけ、帰ってきてから、また染めたくなってずっと染めているという毎度の
タイミング。
染めている時は、平穏なんだが、なかなか、自身が失敗したものではないストールの色を、イオン処理の煮込みや
色を吐き出させるための煮込みの長い時間、火の前にいて手を動かし続ける時の虚しさ、虚しさを超えて
怒りさえ湧いてきたこともあった。そんな自分の感情の扱いに困惑する時もあった。
臭いを伴うハイドロでの色消し。過去の時を抹殺するかのごとく。その中に、古い時の足取りの真実を発見し
脱力する。誰にも訴えることができず胸がいっぱいの時も、何日も過ごす時があった。
それでも、気づくとターコイズブルーだけでも、こんなにたくさん染めていた。
まだ、この先に色止め、イオン処理などなど3工程の染めと仕上げが待っているのだから
それもターコイズだけでなく、赤群、ピンク群、桃群、オレンジ群、珊瑚、赤紫、青紫、ボルドー、グリーンと
掛ける倍々だと思うと、またわっしょいなんだが。
日常をずっと、染めの濃厚な時間を過ごした分だけ先に進んでいた。
そして
今日の午後、ある力強い紫色を2色、2枚染めた。
全く新しいエネルギーの強いストールが生まれた。
断然、今までの格とは違う。私ではないほどのクオリティ。色だけでなく、その布地自体が超合金だった。
新しい段階へ入ったと、確実に感じ、窓の外を見ると
トンボがアトリエを除いていた。勝ち虫のトンボだ。
トンボは前にしか進まない勝ち虫。
古い過去の色直しは手放して、自分が染めたいように自分色で進もうと決めた時でもあった。
今のエネルギーと違っても、色の吐き出し、色重ね染めは、
自身のミスや直しはしても、自分以外の染めの直しは、今は手放そうと思った時でもあった。
(「限界は幻想」手放せば、限界!!!という弱音は消える。)
前にしか進まないトンボは、
近づいても羽を触っても全然、逃げなかった。
そういえば、昨年もトンボを呼んだら指の上にちょこんと座った。
トンボを指に乗っけて温泉に入ったんだった。
トンボと私は、内在する言葉で会話をしているのであろうか?
今日は記念すべき「先」への始まりだった。
]]>
今日は不思議な景色です。
満月の夜に珊瑚がいっせいに産卵して沖縄の海が真っ赤になるようなダイナミックさで、
何かのお花の種子、綿毛が舞い上がり続ける。
綿毛の一つ一つがの生命が躍動し、人格でもあるように表情を持って空を行く。
渡り鳥が一世に飛び立つような、
川面の上を風に乗って流れていく。
]]>
日の出と共に起きる生活をし始めたのだが、
あまりにも快調だったので昨日は、午前4時半から午前0時過ぎまで染め、
そして本日は午前6時起床。
しかし、昨晩、染めだけでなく仕上げの揉み込み仕事をし過ぎたせいか、特に右手に力が入らず布が絞れない。
同じストール布地でも、糸の撚り具合や、その性質で風合いもキャラも違うので、
今年からは染めだけでなく、仕上げの色止め、柔軟仕上げの加工を、それぞれ1枚ずつ変えている。
なんで、ここまでこだわるのか?ね。と自問自答しながらも。。。
お客様にとっては、一期一会の色のストールだからと思うと、そうなる。
今までの倍以上の時間と工程となったストール。
ワンクール、私の色鉛筆箱の色が全部揃ったら、今ある染め用ストールを全部染めたら、
アルバイトさんにお手伝いをしてもらうシステムを作ろう。
今は、一色一色、一枚一枚骨を作る時期だから。
と。
]]>
今日から6月。
2017年前半を締めくくる6月が始まるので、昨晩は午後8時には眠りにつき、今朝はお日様とともに
午前4時半起床。
朔日儀式、玄関の盛り塩を変え、印鑑式、大掃除。先送りにしていた事務仕事を片付け午前が過ぎる。
本日は鵜飼開き、そして夜は花火大会。
朝から川面は忙しそうに準備のため船が行き交う。
そして今年の鵜飼の安全祈願の祝詞や、開会記念の吹奏楽の音楽が川面の風に乗ってアトリエの染め場まで聞こえてくる。
一緒にお忙し〜♪
そして今年一番の昼の鵜飼船がやってきた。
初物の鵜飼船は五隻、お客は満席御礼。鵜飼船の中では美味しそうにお弁当をいただいている。
川面の賑わいが嬉しい。
染めも楽しく、鍋に火を入れていると大きな爆発音。鍋が爆発するのか?と思ったら
花火の試し打ちだった。
川の上からあげる花火
なんか調子よくなって、
染めが止まらなくなり、午後8時過ぎ。
いつ始まるか?とドキドキしながら、花火タイムに合わせて染めを調節する。
凝った花火ではないけれど、
ずっと見慣れているはずの花火なのに、やっぱり歓声をあげる。
花火は、良いね!!!
上手く写真は撮ることができなかったけれど、この先、8月は木曽川ロングラン花火で1日から10日まで
毎日、花火が上がる。
そして8月11日は木曽川花火大会。
なんか、またこの季節が始まったなと。そんなふうに思える風物詩のある犬山って良いなぁ。
さぁ〜景気良く、リズミカルに夏を始めましょう〜❤
↑
鵜飼が終わると、鵜匠を乗せた船は、超高速エンジン全開で帰っていく。毎年、その様が面白くて.....。
]]>
2週間前に、髪をベリーショートにしました。 勢い的には、坊主にしてもOKぐらいな気分で5年ぶりの美容院。
美人さんを作るお仕事をしているのに、私は、美容院へ行く時間があったら鍼灸治療院、整体を優先していた。
なので意気込みが違っていた。もう、後ろ髪を引かれる髪の毛もなくスッキリです。
髪は、人の感情を感知するアンテナのようなもので、また、自身のエネルギーを守るものでもあると聞いていたが
確かに、その感じ方も変わったような感じもする。古い背後にあるものを一新。幕を閉じる。
急激に切ると毛根がびっくりすると聞いていたが、確かに、毛細血管が蠢いているようなジワジワ、トクトク
不思議な動きが頭皮にあった先週。もしや脳梗塞の前触れかと思うほど、地肌が波打っていたが、
気づくと2cmほど髪は伸びている。人間ってすごい。私とは別の生き物の髪の毛1本1本の存在を認知したような
私という身体の宇宙。
美容室を出て、車に乗るとバックミラーには見知らぬ私がいた、あの不思議な感覚は生まれ変わったような
新しい私と出会ったような感じがした。
ベリーショートにしたら、ちょっとオシャレをしたくなる。
そして、きちんとメイクをしないと、ただのオバさんになってしまう。
ベリーショートは、体力と気力が必要でもある。
その足でショッピングに出かけ、新しいチークと洋服を買いに出かけた。
ブティックのフィッティングの鏡に写る私は、若返ったというよりか貫禄が出たようにも感じた。
モードなお洋服を着た私は、なんだか美容室3軒ほど経営しているマダムのようにさえ見えた。
これはダイエットもして、恐ろしいほどの貫禄を払拭したい。などと独り言を言いながら1日は
ちょっと疲れたので、コーヒーを飲んで休息してから運転をして帰ろうと喫茶店に入った。
隣の席の若い女子たちが、「HAPPY BIRTHDAY TO YOU〜♪」
と、合唱をしはじめた。目があったので、「おめでとうございます。」と言って一緒にお祝いをした。
なんだか、この偶然が嬉しくて、気分良く車を運転して帰った。
髪を切って2週間。
そして今日は5月31日。明日は6月。カレンダーをめくる日。今年も半分過ぎようとしている。
どれくらい変化したのかな。
日常は相変わらずだけれど、内側は大きな変容が落ち着いたように感じる。
心地良い暮らし方を
もう一度、イメージして、さらさらと進みたい。
もう引かれる後ろ髪はないのだしね。
]]>