青い嵐の時の終焉を前に
2017.07.18 Tuesday
もうじきマヤ暦、青い嵐の時が終わる。マヤ暦謹賀新年の時は間近。そう思うと、それだけで肩の荷が降りるというか
緊張感が外れ、ホッとする。260日間の青い嵐の時。
それはそれは、嵐の中に身を置き、まるで洗濯脱水機の中で遠心分離機にかかったかのごとく、
あまりマヤ暦には詳しくないのですが、青い嵐の時は「ありえない!」ような事だとかも多く起きる。
感情も諸事情も青い嵐の遠心分離機にかかって、古いものとか、そういうものが飛ばされる。
そんな青い嵐の時の終わりが近づくにつれ、新しいumu-wakaの私の染め色の骨格が見えてきた。
そして新しいホームページ、ブログ、ショッピングサイトの準備を始めました。
アトリエから撮影した写真と同じアングルの画像がニュースで流れた。
そうそう、準備を進める中、先週、私が暮らす愛知県犬山市に大きな嵐が3日間のうち2度訪れ
全国版のニュースでも、たくさん放映された。
それは、マヤ暦青い嵐の時の師走前を現すがごとくだなと、今、思います。
嵐が訪れる前は、ある青を染めようと準備をしていた。そこへ龍さんという素敵なお姐さんからメッセージのやり取りを
終えて、青を染めた後、急に雲行きが怪しくなり、風が吹き荒れ、雷。
そして目の前が真っ白になって見えなくなるほど、雨が土砂降りを通り越すほど降った。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170712/k10011056071000.html
この目の前が真っ白に雨と風が吹きすさぶ時の落雷で、国宝犬山城の鯱鉾が壊れた。
私と同じ年のシャチホコ。シャチホコは、火事から守ると言われますが、落雷の後の火事から国宝犬山城を守り、
そして、その界隈にも大きな建物があるのですが、民を守るがごとく、犬山城が落雷を受け止めたと感じています。
濃尾大地震の時に壊れた国宝犬山城は、城主の資金だけでは修復ができなかった時、犬山市民の多額の募金を加えて
修復された。犬山市民が愛する、自身の心の殿様のように感じる犬山城。
アトリエから川を挟んで、真正面にある鯱鉾に落雷。
あまりの激しい天候が映画のようで、興奮してベランダに出ていた私は、後で思うと恐ろし事だと思うのですが、
何か、その時は、恐怖は全くなかった。
そして、国宝犬山城を守る、針綱神社が、もともとあった東之古墳の麓が土砂崩れ。
私が幼い頃から、遊んでいた、その山が土砂崩れ。
もしや、あの目の前が真っ白になった嵐の時に、龍神様が立ち上り、犬山城を守る針綱神社が
もともとあった場所、東之宮古墳からも王様も立ち上がったんじゃないかと
そんな風に想像をしてしまった。
そして
その次の日も、夕立が少し、そしてその翌日は、集中豪雨。
初めて避難指示まで出るほどの集中豪雨。犬山のあちこちが冠水した。
犬山城の麓、もともと犬山城の鬼門にあたる場所、彩雲橋が流されるのではないか?と思うほどの濁流。
逃げ帰るように、鵜飼船が豪雨の中、帰還。
アトリエの目の前が毎日のようにテレビニュースだった。
こんなことは、今まで生きてきて初めてのことだったが、翌日は快晴、水も引いた。
この3日間が過ぎた後、何かが、その空気が変わったような感じがした。
集中豪雨がやんだ後、すぐに大量のトンボが、アトリエのベランダの上だけに飛び続けていた。
そういえば、
瑠王色・ruou-iroは、犬山城の天守閣から景色を眺めながら生まれた色でした。
私自身のお城の主人になる色。
そして今年に入って、新しく瑠王色のレシピを完成させた。
今まで安定しなかった瑠王色が完成した。
そして、もっと心軽やかな、未来の色言葉を添えて瑠王色が生まれた。
そして、瑠王色グループとして、その界隈に5色のストールの色が完成しました。
また、
今までになかった、青色グループが4つ生まれました。
それぞれ、色言葉も全く違うグループたち。
新しいブログを始めたら、一色ごとアップしていきますね。
青い嵐の時の終わりに近づき、たくさんの青、
そしてロイヤルブルーたちが生まれています。