満月をまたいで〜。

2015.10.28 Wednesday

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    ほっと一安心が終わったとたんに、中耳炎&熱で先週末まで寝込んでいま
    した。頭痛で脳はフリーズで思考停止。言い知れぬ疲労感をも伴い、



    どうしちゃったんだろう? 私な、4日間の日々。
    出したいメールも出せず、何もできない日々。

    週が開けて少し痛みが緩和されたので、今日は、ゆっくりと始動しようと
    朝一番、アトリエに向かう前に、日用雑貨を買うためにスーパーへ寄ると
    揚げたてのコロッケの良い薫り。

    幼少時代の温かな食卓を思い出す揚げたてコロッケの薫り。
    普段は買わないスーパーマーケット揚げ物なのに
    買ってしまったコロッケ&うずらのフライにminiカツ丼弁当。

    温かいうちにと食べ始めたのですが、途中で気持ち悪くなり
    その後は、カキフライにあたった時と同じ症状で嘔吐。


    朝から深夜を越え、2日間嘔吐。

    満月をまたいで嘔吐の嵐。





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    顔は腫れ上がり、

    カキフライにあたったような症状で苦しんだ後は、

    中耳炎で腫れていた耳の後ろの腫れも引き、

    2ヶ月間、気になっていた喉のつまりが消えた。








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    小鴨を心配するように振り返る親鴨






    先週までは私が母を心配していたのに

    今回は、母が私を心配する。


    ベランダから川面を見ると
     
    小鴨を心配するように振り返る親鴨

    これが普通の姿なんだなと。



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    20年前、父が悪性リンパ腫の4ステージで闘病中の時を思い出す。

    母を守るためにと、医師からの厳しい通告は、

    私一人で聞いていたことを。

    消化してから母に伝えようと。

     
    母を守らねば、母を守らねばと。




    けれど、今回、母の診療のために5年前まで遡って病院をいくつも

    たどり、母の気丈さを改めて感じさせられた。


     
    母を信頼すること。
     
    満月をみていると「Trust」という英語が
     
    宇の星のように流れた。
















    満月を終え

    何か雲が晴れたように感じる。


    この1週間の寝込み。

    どうすることもできなくて寝込んでいたけれど

    寝ている事に飽きてしまったなぁ。
    動き出したいと思った時、

    色んな心配事、緊張な日々が遠くに行ったなぁと感じる。


    晴れ晴れ明日を迎えましょう。






     

    心の筋肉痛から解放〜

    2015.10.22 Thursday

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      通院中に通う風景





      「痛み止めの点滴は、

       医者の金儲けのための注射ですから

       打っても良くなるのは医者だけなんですよ。」




      と国立H病院のM先生は言う。






      総合内科医のM先生は、人生で一番信頼する医師。

      相変わらず、本音で話す先生の言葉に母も納得。

      M先生の顔を見るだけで、病気も80%治ってしまうように感じる。



      今回は、母が生死をさまよった病、

      ヘノホ・シューライン紫斑病の再発か?との疑いで

      先月から、いくつかのの病院で診療、検査を続けてきた。



      ヘノホ・シューライン紫斑病は、腰痛をも伴うので

      先月から続く母の腰の痛み&歩行困難の長期化が気になり、

      いくつかの病院を訪ねた。結果、一番最初に病気の発症をした

      国立H病院まで遡って、治療経過のカルテ、診療情報が必要となり

      久しぶりに国立H病院のM先生を訪ねた。





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      2011年の病院の風景は今はなく大きな建物になっていた






      M先生との出会いは2010年の暮れ。

      人口膝関節の名医がいる国立H病院での手術をと選択した病院。

      しかし、人工関節の手術日前日にに、腎臓機能悪化、胸水もたまり

      生死をさまようことになった。



      病名不明の急速の悪化。その時、内科医のM先生が担当医となった。

      「病院は私をモルモットにしている。」と意識が定かでない母は

      紫斑のある皮膚の組織検査をもこばみ、余命宣告の中、母は、親戚などに

      入院している事を知らせてはならぬ。と言う。

      病院と母の間で板挟みになる私。



      そこへきて、病名も不明の症状なので大学病院でなければ

      生命の維持、検査さえ難しいので転院させたいが

      年末も重なり、年明けにしか転院させられないという状況。

      いざとなった時は、救急車で大学病院へと運ぶので心配ないというが

      そんなもん、心配だ!!!ということで、M先生とは問答が続いた。

      「僕だって、お母様が助かる事を願って必死に掛け合ってるんです!!」

      医師や看護婦にも「私の体は触らせない!!」と吠える母のこともあって

      M医師とは、なんだか、一緒に戦ってきたような信頼感ができた。




      年明けに、大学病院へと転院となり

      ヘノホ・シューライン紫斑病という病気だと診断され、

      ステロイド治療が続き、緩和され、大学病院を退院。



      その後、通院治療は、心が近い国立H病院M先生の元へと。

      母もM医師のいうことだけは、笑顔で聞き入れるようになっていた。

      しかし、また、再発してまた大学病院へとなった。



      大学病院では、ヘノホ・シューライン紫斑病の治療のために

      腎臓内科、そして足腰の痛みの治療は脊髄整形科での治療を受けていたが

      少し体調が良くなると、遠くの病院も、大きな病院も行きたくないと、

      いうことで、近くの病院を進められたが、

      頑固一徹な母は、「病院へはもう行かない!!」と。

      大学病院で書いてもらった、地元の病院への紹介状も

      用をなすことがなくなった。



      大学病院の医師からも定期的に足腰の痛みとともに歩行困難となることも

      診断されていたが、足腰が痛くなると、こっそりと、私に内緒で

      近所の内科へ行って痛み止めの点滴そして大量の薬の投与をうけていた。

      腎臓機能の問題もあるので、薬にも制限があるが、母はおかまいなし。


      生死をさまよった時の記憶は母になかったので、この数年は、

      母の無茶な行動に肝を冷やす。

      それに加え、入院中に大量投与したステロイドの後遺症で

      意識障害もあったので、母の日常生活、健康管理に

      緊張しながらの日々だった。

      手に負えなくなった時に、いつもM医師を思い出していた。





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      枯れ葉の時期になると何か心が揺れる事がつづくな






      今回は、

      新しい地元の総合病院の医師からの勧めで、最初の発祥地点の病院へ

      行くことになったが、信頼のM医師から認知症の検査も受ける事を

      了承した母。

      まだまだ、他の検査や治療手続きは続くのだが、






      昨日の時点で



      ヘノホ・シューライン紫斑病の再発は認められない。


      MRIと診断結果から、認知症の発症の疑いも消えた。











      残るは、整形の案件のみだが、

      生死をさまよった、ヘノホ・シューライン紫斑病の再発は認められず

      認知症も「年寄りのモノワスレ」ではないか?



      この事がわかった時点で、

      力が抜けて腰が立たなくなった。脱力感。

      良かったという喜びを感じる感情の前に、

      一安心と共に脱力感で、重かった腰がくだけてアメーバーのようになった。



      ストレスと緊張で限界点に来ていたんだなと気づく。

      そうだ、ここんとこの喉のつまりに難聴...。

      そりゃそうだ。この5年間の母の健康管理、病気の心配。

      リノベーション前の実家の引っ越しは、10月中に終わらせなくては

      いけないのに、2年前から実家の片付けを始めているものの、

      長年のいたちごっこ&最近の病院通いなどのできない。





      あああ〜

      一昨年の実父の死からの一連のなにがし、

      そして実家のリノベーションの紆余曲折、猫ちゃん騒動、私の引っ越し

      仮のアトリエであれども、引っ越し後のレイアウトも間々ならないまま

      と、緊張感&抱かえ過ぎで限界だったのだろうね。


      痛みも感情をも伴わない無痛のアメーバー状態の本日。






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      鵜飼開催期間が終わり、水かさ減らした木曽川






      脱力感でひれ伏して、ベッドにうつ伏せになっていると、

      この数年感のことが走馬灯のように流れながら、

      もっと古い時、自身の生い立ちを知った頃の幼い自分を発見する。

      頑張っていたのは、私の中に存在する、幼い私だった。

      その幼い私の上に、着ぐるみのように乗っかった51歳の私の肉体が

      肉体的に疲れている。そんな感じがした。

      もう頑張らなくって良いよ。小さい私...。



      自身の人生のタイムラインを遡るように自身を癒す。

      そんな時のように感じる。





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      鵜飼の開催期間が終わり、十分な水量を必要としなくなった木曽川は


      ライン大橋の水門を開けて、水量を減らし、


      浅瀬に岩肌が現れ、河原で鴨達がくつろぐ。


      水量満タン、激流の木曽川の表情は


      今日は見当たらない。



      穏やかな川面と、くつろぐ鴨達を見ながら

      ぼんやりと。




      木曽川の水量を調節する水門





      満タンだった木曽川の水も

      水門が開くと同時に、川底の汚泥もゴミも流れ去ったのだな〜

      と想像しながら、

      私の川底の汚泥も流れ去ったのだなぁと。



      穏やかな流れの中

      残りの病院での検査と手続きを

      穏やかに進めましょう。


      今日は

      しばし、お休みをして。






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