昨年は、生家の締めくくりをしながら、その足取りや暮らしを観く。
今年は、育家の片付けをしながら、息づいていた足取りを観る。
「経」を締めくくりをする人のような私だなぁと気づく。
来年はその統合になるのだろうか?
40代までの、飢餓感のごとく全速力で細かに走った時代を、
秋の陽が差す窓から眺めているような気がする。
いやいや、今も、緻密な粘土のような日々が続いているけれど。
遠くの夕日を見るように、今を見る。
今のこの時が、いつか懐かしい温かな思い出の時になるのかなあと
遠くの時を見る。
今、この時が、愛おしく優しく滲んでいく。