感動と興奮が沈静化し根づき勇気へと変容〜。種を蒔くのですね。
2014.01.23 Thursday
そんなこんなの、
感動に感動が続く出会いは、まだまだ続いております
今日この頃。
http://umu-waka.jugem.jp/?eid=1219
大感動の記憶の時蒔会を演出されたGさんから
大島紬の新たなスタイルをクリエイトしたら??
との提案。Gさんは、かっちょいい友禅染の着物も
プロデュースされていて、その資料や友禅染も見せて頂いた。
凄いな!!と、Gさんの色々な仕事を見ながら興奮するものの
大島紬を代表する龍郷柄
私にとっては、神様の聖域である大島紬。
若い頃の母の着物をリメイクして趣味のバンドの衣装に
したことはあるけれど、
大島紬をそこまでリメイクしたり、着こなしをアレンジするのは
とてもハードルが高いことで、
美しい新しい大島紬、umu-wakaの大島紬のデザインの
イメージはすでにあるものの、
もっと大きく変革するというお題を頂き
2014年、台風3号はまた突風でございます。
今まで大島紬の小物を作るために
大島紬を裁断するだけでも、身を清めと塩のお風呂に
入ったり、心が安定している時..と、ハサミを入れるタイミングは
長くかかりましてね。。。。
大島紬誕生地・奄美大島の蘇鉄の群生
特に大島紬を代表する龍郷柄は、山の守り神のハブと、
島の人達の生活や、命を支えた蘇鉄からできています。
生多良は、龍郷柄と奄美大島を代表する画家、田中一村の
奄美の大自然をモチーフにした柄の大島紬の糸を染める時
いいかげんな気持ちで染めた時は、罰があったと…。
その話しも、とてもわかる程、紬からは、そういう
神々しさが放たれているのです。
奄美を代表する孤高の画家・田中一村
でも
でも
その後、能楽師の勝海登先生と、日本の伝統文化を伝承する
お話なので、心が沸き立ち、
そして、大きな大きな背後、想像を絶する、
私とは比べ物にならない
背景を背負った、能楽師、重要無形文化財保持者の
勝海登先生が
新たな表現に挑戦されていることに
勇気!勇気!!!です。
http://umu-waka.jugem.jp/?eid=1218
そして、
現に、私は、伝統の雅楽をエンターテイメント、
そしてロックにまで変容させたあ、あの音蒔会の
コンサートに、自身があれほどまでに興奮して感動して
その記憶が、ずっとずっと残っていたわけでして
その音蒔会を演出、プロデュースされたGさんに
提案を頂いたわけですからね。
自身の中にあった正義と決め事。
ほんと、一人ではその殻は破れないもので
こうして出会ったご縁の中で
小さな殻は破れるものですね。
感謝感謝!!!
イタリアのデザイナーが日本の着物をイメージして作ったガウン
みたいな服なんぞを日常着にながらお仕事よぉ〜
そう思ったら
奄美の民俗学から、古い文献やら、歴史書をまた熟考。
そして
そして
色々なものを引っ張り出し〜〜。
そしてそして
不思議な着物やら帯やなんやらを取り出し
一人でそちらの方向へまっしぐらと進むのでございます。
生多良はよく言います。
「wakaさんの探究心は、半端じゃないからね〜
だから、ここまで来ることができたんだよ。」と。
さてさて
そして
生多良に報告の電話をすると、
さらにまた感動な出来事が続くのでした。
また後日〜。
新年会の驚きの感動はまだまだ続くよどこまでも。
2014.01.20 Monday
umu-waka第二章
2013.10.15 Tuesday
虹の祝福を受けながら〜生多良は無事退院いたしました。
2013.10.15 Tuesday
☆力強い生多良の手の中で染め上げられる巴雪色・tomoeyuki-iro
今回の鹿児島行きは
新たにストールを染める事と
生多良の退院のGOサインを医師からもらうための
自宅での生活をリポートするためでした。
さてさて
病院から生多良を連れ出し、
まずは3日間のお泊まり保育?です。
(結局、その後、病院のベッドに帰ることなく退院です。)
風向きの具合で生多良の自宅&染め工房のあるあたりは
桜島の火山灰が降りしきり
車を走らせると、灰がぶんぶんと飛び交います。
私の目も〜ふひふひ、結膜炎のような症状です。
襖1枚隔てて眠る生多良を、襖の隙間2cmから覗きながら
生多良の眠りをチェック!!OK!!と布団へ戻ると
ウータンは、そのスキにお布団の真ん中に移動です(笑)
ウータンに癒されながらも、
生多良〜病院から救出作戦に使命を燃やす私ですが......
まっまあ〜
灰も降っている事ですし
ゆっくりゆっくりと、染めをしながら
日常を取り戻しましょう〜と。
ゆったりスタートだったのですが…..
日に日に目力が増して行く生多良。
染めの釜を扱う腕までが
日をおう事に輝きだし
力強い動き、筋肉、生命力の輝きが
いつもの生多良だったので、
最初は、気遣いながら仕事をしていた私も
いつものフルスロットル染めモードへと
スパルタ若山へと化して行ってしまいました。
☆ストールの枚数と合わせて染料の配合を計算する生多良
ままま〜
そんなこんなしている間に台風23号は
鹿児島を目指してやって来るわけでして
天気予報の呼びかけに細心の注意を払って
雨戸を閉め、庭の大きな植木鉢を軒下に運んで…。
と生多良がえっさいさぁ〜と運んでおります。
んん???いちおう、今のところ….
病院、仮出所中ですけども….。
さてさて
万全の体勢で台風に備えたのですが
台風は進路を変えて
台風〜〜!!を体感することもなく
しばし、恵みの雨を降らせて
町中の灰を洗い流し、風向きをも変えて
次の日は、絶好の染め日和でございます。
金蝶羽色・kinchouhane-iroを染めていると
ありゃま〜!またダブルレインボーが
でっっかくでっかく空に架かっております。
5月に染めておりました時にも2日間に渡って
日暈、太陽に丸く架かる虹が現れましたしね。
これで二重丸。
神様からもOK!!解禁でございましょう〜!!!
5月に架かった日暈→http://umu-waka.jugem.jp/?eid=1089
そして
そして
ダブルレインボーがかかった次の日に
正式に退院の許可が出たのでした。
若多良〜初日は国指定天然記念物で万歳です。
2013.08.02 Friday
朝、あがったばかりの『首折れサバ」
釣って直ぐに血抜きしたサバよ。
本日は、
病院から生多良が、仮出所(笑)。
職人さんが握る、くるくる寿司へ。
南の海の知らない魚がいっぱい。
大島紬の地だからこそ!大島紬を代表する柄の一つ「秋名バラン」のお皿
お寿司を食べて
染め工房へ〜。
若多良デビューでございます。
「師匠!!」
「師匠!!!」
umu-waka染めデータBOOKも3冊目です。
染めのデータ帳を見いって
返事がありません。
「生多良、親分!」
「何?」
いつもと
同じ。
いつもと変わらず、
楽しく順調にです。
奄宇海色のストール、姫紫色のストール、
沼縄色のストール、男茜色ストール、
たくさんの色で染めたストールに白泥で
湯気ぽっぽ〜
湯気ぽっぽ〜
パッキンパッキンな太陽の光の中、
ストールを干しながら
ふと、見上げると
奄美大島の国指定天然記念物、
ルリカケスが
こちらを見ています。
え?
何故?ここに?
生多良も不思議ね。でも素敵な予兆と。
こんな感じで
弟子初日は、終了。
生多良は、病院からの仮出所を終え社場を後にしました。
はい。
また
明日〜。
大島紬染色家?若多良(わかたら) 襲名です。
2013.08.01 Thursday
今年の5月25日、
天と地が繋がるという特別な満月に
生多良が、くも膜下出血で倒れ
あれから、色々な色々な日々を越え、
色々な想いの日々。
生多良は、いなくなったら美しい大島紬の色を
生み出すことができなくなる。
現に今、単色の大島紬が増えている。
umu-wakaが始まったのも、生多良の息子さんから
親父が大島紬がなくなったら、俺は死ぬと言う。
大島紬を親父の色を残したい。
その言葉から始まった。
生多良が倒れてから、色々なことを考えた。
自身の生活環境も変わり、また、熟考。
そんな中、
心の行く先を決め、覚悟を決めた本日、鹿児島入り。
元気になった生多良、優しい眼差しを見て
これから正式に生多良に弟子入りをしたいと告げました。
染色家?若多良(わかたら)の襲名の許しが出ました。
今は
umu-wakaストールの染めに全力投球。
今まで、生多良のそばで染めを手伝い
たくさん言葉を重ねてきましたが
染色家になる、いずれは、大島紬もと、
すでに、瞳の中にある大島紬のデザイン。
その未来が、身体の奥からファンファーレが鳴り
歓びが溢れます。
明日は
生多良も病院から、仮退院をして
今秋の個展用のストールを染めます。
生多良監修のもと、
実労、染め。
大島紬ならではの、希少な白泥を染めます。
新たな扉を開きます。