時の翼のエッジング
2015.07.08 Wednesday
記憶というものは、身体の色んな感覚を伴って刻まれるものだなぁと。
歓びでさえ傷みをも感じるような切ない匂いを伴い、
そして右頬には、その頃の温度を感じさせる空気さえ吹いてくる。
もし、自分の身体から見えない時の翼が伸びているのなら、
たくさんの時の色のエッジングが幾重にも重なっているのでしょうか。
今宵の木曽川は水温の方が高いせいか、
川面は霧で白く煙り幻想的です。
鵜飼舟の漁り火も美しく逆光に照らされた川面は、
ラスベガス、シルクドソレイユのOショーのようです。
十数年前、
仕事の関係で
ラスベガスによく通っていた時代があります。
なんだか今日は霧に煙った木曽川を見ながら
ラスベガスのベラジオホテルのOショーを
思い出し
Oを初めて見た時の感動、
ただ、涙がずっと溢れていたときの事を思い出し
そして
その頃のことを、
その空気が背中に刺さるような感覚
灯かりの具合や雑踏が蘇ってきました。
瑞々しいほど
何も知らなかったんだなぁ。
時の翼が
自分の身体からはえているのなら
その時の翼に
色んな感情がエッジングのようにき刻まれている。
寒いぐらい強い悲しみも、高揚も
艶やかな時代も
歓びでさえ
傷みのように
その時の翼に刻まれているように感じるのは
遠い時の彼方にあるからだろうか。
穏やかな日々に
遠くの時を憶う。
今
この時
2015年7月の
この時のことも
いつか
この先、
時の翼に刻まれた
そのエッジングの色を
懐かしく
生々しく
思い出すときが
くるのだろう。
どんな感覚が
残るのだろう。
今、
この時を。
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