夕凪色に見守られて〜。
2016.09.27 Tuesday
夕凪色(ゆうないろ)
つくづく新しい世界、新しい未来の価値観へと自身を開いて行く時なんだなぁ〜と感じる。
それは新しいご縁や、以前からあったご縁の中で気になっていた方々と芋づる式に
懇親し合う会合に参加する事になったり、またそこから新しい楽しいご縁が
未来の楽しい夢をクリエイトさせる。
そんなご縁の景色を感じながら、自身の時を観る。
そして
全て、今までの価値観や生きてきた宝のような時間があるからこそ、融合していく可能性を
観るのであろう。
時代は変わる。
過去への慈しみ、
真正面に真摯に生きて来た、心を、肉体を、魂を寄せ合い、向き合ってきたその時代が優しく
その優しさの、長い長い積み重ねた時が、新しい時代へと後押しする。
その優しさに郷愁のような、帰りたいような、
その重ねて来た優しさに心は凪ぎ立つ。
以前、染めた夕凪色(ゆうないろ)は、まさしく今の私の心の中にあるひとつの色。
育み、育まれ、母親のような温かな笑顔が、
セピア色の世界の中に生き続けるその笑顔が遠くの時間軸の合間からこちらをみる。
古い中国の風習、纏足(てんそく)、
若い頃は、自身を小さく見積もらないで、
自身の心に纏足を履かせて小さくまとまらないで、窮屈な靴の中に可能性を封じ目込めぬように
と、果敢に一歩一歩進んで来た。
それと共に、普通への憧れも持ちながら。
クリック→ 纏足(てんそく)
今は、
この今の年頃になって、纏足さえ意識していない、
その比喩さえフィットしない自身の心になっている事に気づく。
もしや等身大に近づいたのか?いや、力が抜けたのかもしれない。
まだ観ぬ、想像をもしえぬ
その未来の景色がとても楽しみになってきました。
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昨日はそんなことを感じながら午前様。
9月26日は、毎年、名古屋の暴走族のお祭りの日だったようで、
午前様の名古屋市内は、警察と暴走族の戦場。その戦場を越えて帰路についた。
たくさんのギャラリーがヒシメク大きな交差点で、暴走族より覆面パトカーのドライブテクニックが光り
警察もお祭りを楽しんでいるように感じた。
化石のような価値観と感じていた暴走族も同じ時代を生き続ける。
多次元カオス。
30年続けば、それは文化となると師匠の大島紬染色家・生多良は言っていた。
暴走族も高齢化の波だと聞いていたが、これも続く日本の文化になるのでしょうか。
新しい、感じた事がない未来の予感を感じながら帰る時の
その煙立ち上る暴走族の景色と街灯の白い光の景色が印象的に残る1日でした。