服織神社の神様にお祈りしていたのです。
2014.05.25 Sunday
最近、私はこの「神社百景 GRACE of JAPAN」
毎回、録画して見ています。
先週分の録画した番組を見ようとスイッチオン。
この門が映像で流れ始めたら
涙が溢れてくるのです。
こんな不思議な現象は初めてです。
やっぱりシャーマン度が上がっているのか??
いやはや、感情もなく、ただ涙が出るのです。
今回の番組は
地元、愛知県一宮市の真清田神社です。
地元は地元でも、私が育った場所からは少し離れていたので
真清田神社のことはあまり知りませんでした。
昨年、生多良がクモ膜下出血で倒れてから
生多良の長男のアッキーは
毎日、かかさず、この真清田神社に
生多良の復活を祈り、参拝していました。
真清田神社のご祭神は、天照大御神の孫神、
天日命明(アメノホアカリ)です。
そして
真清田神社の境内には服織神社が鎮座しています。
古くは織物の神様として信仰を集め、
「萬幡豊秋津師比売命」、別名「棚幡姫神」を
お祀りしています。
生多良の長男アッキーは、
織物の神様に、生多良の復活を祈っていたのです。
日本伝統工芸士・大島紬染色家・生多良(うむたら)は
織物の神様から、
まだまだ、たくさんお仕事がありますから後遺症も
こちらで預かっておきましょうね〜。と
ご配慮をいただいたのかもしれません。
しかししかし
昨晩、録画してあったこの番組を見て
真清田神社が織物の神様がお祀りしてあることを
知ったのですが、
その前に、何もしらずに神社の門を見ただけで
涙があふれるとはね。
ありがたいご縁があるのでしょう。
そして
アッキーも私も直観人間なシャーマンなのでしょうね。
神様
ありがとうございます。
生多良と錦江湾
2011.08.02 Tuesday
鹿児島・錦江湾
生多良(うむたら)は、イイしごとをしたなぁ〜
少し、心にスペースがなくなってきたな〜
そんな時、染め工房から30分ほど、車を走らせこの錦江湾にでかけます。
昨日の美しい「あかいろ」が生まれた時も
「wakaさ〜ん
今日は もう 錦江湾へ行くがぁ〜」
と、この美しい日本の海、錦江湾へ出かけました。
生多良は穏やかな夕陽の海風にあたりながら
LARKに火をつけて、うまそうにふかします。
その煙草の煙も、おだやかそうに夕陽の海風の中に消えていきます。
美しい色をこの海にリリース〜。
そんな心地よさに、私も包まれました。
こんな穏やかな生多良も
時には無邪気な子供になって
この錦江湾の浜辺で、波をぐしょぐしょにかぶりながら
家族と貝とりをしてはしゃぐことも。
愛する家族の前では、一人の無邪気な少年になる天真爛漫な生多良。
生多良の心のあそびは、
錦江湾からつながる海の広大さと同じだなと。
打ち寄せる波音を聞きながら 穏やかに色をゆだねました。
今日は生多良の誕生日
2010.07.05 Monday
今日は生多良の誕生日。
ふふ。還暦でございますが、
『赤いちゃんちゃんこなんか着せられて!たまるか!!!』
と言って、息子さん達からの還暦祝いの申しだてに激怒しておった生多良は
普通に、普通の日のように過ごしておりました。
西陣織屋の主人である山口伊太郎は70才を迎える日に
「今日から、わしの余生。ややこしい事に縛られず、とことん納得のいく
織りをやりたい!誰にもできんかった事をやる!商売抜き、織り道楽や〜』
と宣言し、源氏物語錦織絵巻を104才で仕上げました。
2年ほど前でしょうか、私は京都で伊太郎の作品を見てきました。
晩年、視力が落ちてから色が強くなったのですが、その色合いに命の濃さを
感じ、魂で選び抜いた色合いに釘付けになりました。
生多良は60才ですが、
同じ心意気でしょうかね〜。
今日も、9月号のVERYでシルクカシミア・うるわしストールの掲載が決まり
私は、商品の発送に追われて、てんやわんやでしたが
生多良の色合いが、これからもっと幾重にも深い色合いになっていくことを
追いかけて行くんだろうな。楽しみだなと。
いつか生多良美術館なんか、つくることができたら良いな!と
そんなふうに思い描いていたら
ありゃりゃ
HPの準備もできず、今週末からの販売会などの準備も手つかずで
ありゃりゃのオンパレードです〜。
でもでも、なにより〜
生多良!おめでと====☆
大島紬染色家・生多良(うむたら)三代目・伝統工芸士
2010.04.28 Wednesday
〜色には感情がある〜
〜生多良三代目・プロフィール〜
1950年 鹿児島生まれ 奄美大島育ち
1967年 大島紬染の世界へ
1950年 鹿児島生まれ 奄美大島育ち
1967年 大島紬染の世界へ
1972年 大島紬染め工房設立
生多良の色は、ひとつの生命体。
時には人を包みこみ、時には勇気づける。
生多良は言う。
その人が惹かれる色は、その人が求めていた優しさだと。
そして、その色との出会いは、
その人が求めていた”優しさ”との出会いであると。
生多良とwakaの出会い→http://bit.ly/cbKPHk
2005年本場大島紬 グランプリ受賞作品
2008年、日仏国交150周年式典で、生多良氏が染め上げた『月光』が披露されました。
日仏国交記念式典→http://umu-waka.jugem.jp/?eid=72
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2005年本場大島紬 グランプリ受賞作品
*他、各賞受賞(大会賞4点)
2005年受賞作品詳細→http://umu-waka.jugem.jp/?eid=78
2006年大会賞 梅碧沫
*他4反各賞受賞(優秀作品賞1点 大会賞3点)
(個人的に好きな泥染大島・総絣の醍醐味美しい海のようです)
2006年受賞作品詳細→http://umu-waka.jugem.jp/?eid=77
2007年本場奄美大島紬グランプリ受賞作品
恋待ち菊(9マルキ地スリ総絣ー色大島)
*他にも4点各賞受賞
2007年受賞作品詳細→http://umu-waka.jugem.jp/?day=20100328
2008年本場大島紬グランプリ受賞作品
*他、4点各賞受賞(優秀賞2点 大会賞2点)
2008年受賞作品詳細→http://umu-waka.jugem.jp/?eid=75
2009年本場奄美大島紬グランプリ受賞作品
牡丹 ¥1,449,000-
*他、7反各賞受賞(優秀賞1反 大会賞6反)
2009年受賞作品詳細→http://umu-waka.jugem.jp/?eid=73
生多良氏は、指先に感じる色のニュアンス、そして全身でその色の心と一体化して
生多良自身もその色になる。
色は感情の織部。生多良氏の色づくりは、感情の色の重ね。
生多良氏は、控えめな色、色の明度を下げる時に黒は使わない。
色は感情の織部。生多良氏の色づくりは、感情の色の重ね。
生多良氏は、控えめな色、色の明度を下げる時に黒は使わない。
単的な感情の色を存在させない。
遠回りにはなるけれど、生命力の赤、自己を見つめるある種の孤独の青、
遠回りにはなるけれど、生命力の赤、自己を見つめるある種の孤独の青、
そして少しばかりの黄の望み。それぞれの感情の色を重ね合わせ、
幾重にも深みのある存在の色を生み出す。生多良の濃色、暗色の中には
命と色格が存在する。
生多良三代目との出会い
2010.02.14 Sunday
日本伝統工芸士・生多良(うむたら)三代目との出会いは、2007年の春。
父の技術を、大島紬を後世に残したいと生多良の息子、暁くんから手渡された
生多良が染め上げた瑠璃色のストール。
幾重にも幾重にも、奥深く重なる
色の世界が、その瑠璃色のストールの中にはありました。
その瑠璃色に触れた時、私の瞳はじんわりと涙が湧き上がってきました。
その時の記憶は、今でも止まったままのような時間のように
私の目の奥の画面に残っています。
『色には感情がある。』という生多良。
色の世界で生きてきた私は、生多良と夢中になって話し続けました。
時には月が話しかける言葉を色になぞったり、
おしゃべりな紫は、こんな色だとか、少し優雅な紫は、もう少し右に傾いた色ね。
と、お互いの角膜は共通の画面のようでした。
色の言葉が楽しくて、共有できる言葉が嬉しく、私は色の言葉を紡いで色物語を伝え、
その色物語の心を、生多良三代目が色で染め出す。時に、一緒に染め液を目の前に
私達は同じ瞬間に、色に命が宿るタイミングを喜びました。
そんな時とともに『umu-wakaストールの色達』は生まれ続けました。
生多良三代目が生み出す色達は、泥染の深い色合いからは想像もできない
美しい和の色合いを染め上げます。心に響く、瞳の奥に何かしら言葉を残す色。
ほんの少しでも、何かが主張し過ぎれば異国の色になってしまいそうな、強い
色合いさえ、生多良は、日本の色として優しさを届け出す。
その優しい色合いは、生多良の人生で感じてきた心の色合いであり、
また、生多良が育った奄美大島、奄美大島の数奇な運命の歴史から生まれた
色合いなのかもしれません。
命ある生多良の色が、まとう人達の心に寄り添い、
まとう人達の顔色、表情がみるみるうちに美しくなり心の彩度が上がる。
その奇跡のような出会いが嬉しく、
ただただ、生多良の色に惹かれ走り続け、生涯の仕事、人生と共にこの色を伝えていく
それがあたり前のようになった時、『本当の父のよう』から父になりました。
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